太左衛門橋から北に、明治8年(1875)に坂口うしが置屋「大和屋」を宗右衛門町に開業をする。
明治43年(1910)に、三代目の阪口祐三郎が大和屋芸妓養成所を創設し、多くの名妓を育てあげた。
その一人として良く知られている人物が、武原はん(明治36年~平成10年)で、昭和の時代とともに生き、地唄舞を芸術の域まで高め、上方舞を全国に広めるために尽力をした人である。
地唄舞や上方舞がどんなものか知らなくても、武原はんの名は昭和の人間ならば、一度は耳にしたことのある名なのである。
大正13年(1924)には、川上貞奴が踊る「へらへら」をアレンジした「へらへら踊り」を考え出し、座敷の余興として、華やかさと愛嬌のある踊りは一躍、大和屋の名物となり、世の評判を集めたのである。
昭和になって40年(1965)には、四代目女将の阪口純久(きく)が大阪の輝きを取り戻そうと、大和屋を五階建のビルに改築したのだが、バブルが崩壊し、主要企業の本社が東京に移り、接待関係の客足が遠のくなか、周りの環境もバー・スナック・風俗店などの店が並び、昔の高級な遊び場としての雰囲気が薄れ、段々と客が離れてゆき、とうとう平成15年(2003)に、126年続いた歴史に幕を降ろしたのである。

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