三津寺というお寺があることから、その名が付いた「三ツ寺筋」。宗右衛門町通の一つ北にある通りで、ここも飲食店がひしめいている。

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大阪の通りの呼び方として、南北の通りを「筋(すじ)」と呼び、東西を「通(とおり)」と呼ぶ。
「筋」と呼ばれる通りには、四ツ橋筋・御堂筋・堺筋などがあり、「通」には、土佐堀通・本町通・千日前通などがあり、道頓堀も「通」と呼ばれる。
「通」とは、船場など家の間口に面した道路のことを言い、通を挟んで一つの町が形成されていたと言い、「通」は、いわば町の主要道路といってよく、「筋」は裏道だったようであるのだが、現在の大阪は「筋」と名の付く道路のほうが、キタとミナミを結ぶ幹線道路となり、市営地下鉄も「筋」と名の付く道路の下を走っている。

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しかしこの原則に当てはまらないものもある。
その一つが、この三ツ寺筋である。
三ツ寺のミナミで東西に通るのが三ツ寺筋で、本来なら三ツ寺通なのだが、何故か三ツ寺筋と呼ばれている。
他にも、清水町筋・周防町筋などがあげられる。何故そう呼ばれるようになったのかは、良く分からない。

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三ツ寺筋の名の由来となった三津寺は、奈良時代の天平16年(744)に聖武連能の勅命により行基が御堂を建立したのが始まりとされる。
文禄年間(1592~96)に賢愚が中興するが、寛政3年(1791)に焼失するが、文化5年(1808)に本堂が再建だれている。
昭和8年(1933)の御堂筋拡張により境内の4割が接収されたが、この時、当時としては珍しい地上3階地下1階の鉄筋コンクリート造の庫裏が造られた。
太平洋戦争では、昭和20年(1945)の大阪大空襲の時に、三津寺の周辺は焼夷弾にて焼き尽くされたが、三津寺は焼けることなく難を逃れたのである。
令和になり三津寺は本堂を覆う形で、地上15階地下3階のビルを建設し、令和5年(2023)に寺院・ホテル・商業施設の「東京建物三津寺ビルディング」が竣工する。