相合橋の北詰に「盛り場を むかしに戻す はしひとつ」と刻まれた自筆の句碑が建つ。
これは明治から昭和にかけて活躍した、食満南北(けま なんぼく)が詠んだもので、南北は毎夜毎夜この相合橋を渡り、芝居小屋に通ったという。
食満南北は、明治13年(1880)堺の造り酒屋に生まれ、幼少の頃から芝居や落語にのめり込み、早稲田大学では坪内逍遥や村上浪六などの薫陶を受ける。
明治39年(1905)に大阪に帰り、三代目片岡我富に招かれ松嶋屋の座付作者となり、明治42年(1909)には、初代中村雁治郎に呼ばれ松竹に属して、多くの戯曲や随筆を書き上げた。
一時、六代目鶴屋南北を名乗ったこともあり、関西劇壇の重鎮として活躍した人物である。
作品には「ぬれごろも」「聚楽物語」「桜 のもと」「心中宵庚申」などがあり、「作者部屋から」「大阪の鴈治郎」などは明治から昭和にかけての関西歌舞伎を知る貴重な資料である。


コメント