法案寺南坊から、さらに西、堺筋の道頓堀川に掛る日本橋北詰の東側広場に「道頓堀紀功碑」が建つ。
碑には「贈従五位 安井道頓 安井道卜 紀功碑」と刻まれ、道頓堀を開削した二人の功績を顕彰している。
安井道頓の出自は明らかではないが、大坂城築城の恩賞として豊臣秀吉から道頓堀一帯を与えられ、慶長17年(1612)、秀吉亡き後の豊臣家の許可を受け、私財投じて後に道頓堀川と名付けられる川の掘削を始めるのである。
しかし2年後の元和元年(1615)の大坂夏の陣において、道頓は秀吉の恩義に報いるため豊臣方に味方して大坂城に入り、秀頼や淀君らと共に城内で討死にをする。
その後、安井道卜(どうぼく)などにより工事は続けられ、元和元年11月に運河は完成するのである。
始めは「南堀」や「新堀」と呼ばれていたのだが、初代大坂城主で徳川曾孫の松平忠明が道頓の功績を讃え「道頓堀」と名付けた。
安井道卜は寛永3年(1626)、道頓堀に浪花五座といわれた「弁天座」「朝日座」「角座」「中座」「竹本座」を誘致し、それに伴って茶屋などが軒を連ね道頓堀は芝居見物と遊興の町として発展し賑わうのである。
大正3年(1914)、道頓・道卜は従五位を贈られ、これを記念し、道卜の屋敷があった場所に顕彰碑を建立するのである。
この顕彰碑は3mほどの巨岩で、この石は大坂城の「残念石」と呼ばれるもので志よされている。
残念石とは大坂城築城の際に、西日本各地から集められたが大坂城の石垣として使われなかった石のことをいう。
近年、安井道頓の姓は、安井(やすい)ではなく成安(なりやす)であったことが通説となっている。
道頓堀紀功碑のある所の西側広場には「小野十三郎の詩碑」があったはずなのだが・・・
調べてみると平成21年(2009)に、小野の母校である大阪府立天王寺高校の桃陰の社に移設されたのだという。どこを探してもないはずである・・・
この碑には、
「たたずめば 思いははるかわが川 憂苦をわかち よろこびをともにしよう 流れ重くして音なし 小雨降る朝 燃え立つ夜も」
との詩が刻まれている。
小野十三郎(おの とおざぶろう)は、明治36年(1903)大阪市の裕福な家庭に生れ、天王寺中学校を卒業後上京し、詩誌「赤と黒」に参加しアナーキズム(無政府主義)詩運動に参画する。
(アナーキズム詩運動とは、アナーキズム(無政府主義)思想をもとに、国家や権威を否定し、自由な表現を追及する運動)
昭和8年(1933)に大阪に戻り、大阪の工業地帯を題材にした詩集「大阪」を発表し、、独自の詩風を確立した。
一時期、吉本興業の文芸部に所属し、秋田實らと共に漫才台本を書いていた。
戦時中に有名歌人が戦争協力活動をしていたことに対して、戦後、短歌的抒情(じょじょう)を否定し、日本の現代詩に影響を与えた。
(短歌的抒情とは、短歌という三十一音の中で、個人的な感情や心情を表現すること)
昭和29年(1954)に大阪文学学校を創設し校長として後進の指導にも尽力した。
平成11年(1999)小野の詩業を記念し、優れた詩集や詩評論書へ贈られる小野十三郎賞が創設された。


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