日本橋から道頓堀川の左岸(南)を上流(東)に向かって歩くと、ラブホが並ぶ通りの一つから若い(確かに若かったように思ったのだが、年の頃なら30前だったろうか)みめ麗しい女性が出てきたのだが、あっというまに消え失せてしまった。
道頓堀川の狐に化かされたのか、東京に出てもひけをとらない女狐であった。
そんな女狐に化かされた所にあったのが、妙見宮自安寺である。
蓮登山自安寺は寛保2年(1742)に、千日前の刑場横に、京都本圀寺の末寺として創建される。
「浪速百景」にも長谷川貞信が「自安寺妙見宮朝参の図」として錦絵を描き、今に残っている。
「千日前の妙見さん」として親しまれ大いに賑わったといい、縁日の「坂町の夜店」は、湊町あたりから日本橋一丁目まで連なったといい、順慶町夜店や平野町夜店と並び、大阪の三大夜店として昭和の初めまで続いていたという。
明治3年(1870)に、千日墓と刑場が廃止されると、そこが歓楽街となり妙見宮もその中心となり、明治17年(1870)以降は、南地五花街(宗右衛門町・九郎衛門町・坂町・櫓町・難波新地)の花柳界の人々にも深く信仰されるようになる。
しかし、度重なる火災と大阪大空襲などにあい、昭和42年(1967)に大阪市の都市計画により、現在地のビルの一角に移転となるのだが、そこには昔変わらぬ「妙見さま」が鎮座されている。

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