『たそがれの御堂筋』(昭和41年(1966)発売)
作詞:古川 益雄、作曲:加藤 ヒロシ、歌:坂本 すみ子
「御堂筋のたそがれは 若い二人の夢の道 お茶を飲もうか心斎橋で 踊り明かそう宗右衛門町 送りましょうか送られましょか せめて難波の駅までも・・・」と歌う。
『雨の御堂筋』(昭和46年(1971)発売)
作詞:林 春生、作曲:ザ・ベンチャーズ、歌:欧陽菲菲
「ああ降る雨に泣きながら 肌(み)をよせて傘もささず 濡れて… 夜の梅田新道心斎橋と雨の歩道は淋しく光る」と歌う。

01銀杏mid
本町あたりに居る人には会えなかったが、御堂筋をさらに南へ歩くと、銀杏並木が素晴らしい景色に出会うこととなる。 
南御堂を過ぎて、この辺りが博労町、銀杏並木が黄色く色づいた、まさに見頃の御堂筋(写真は12月に撮ったものである)。
ここから、そごう、大丸のある「大丸そごう前」の御堂筋はすぐである。 

02そごうmid
何故こんな名が付いたのか御堂筋鰻谷。
ここに新しくなった「そごう」があり、続いて「大丸心斎橋店」がある。 
そごうの建物は、近代的な建物となったが、大丸は昔の風情を残した建物である。                                                
と書いたが、今ここに百貨店「そごう」はない。
「そごう」は天保元年(1830)に、十合伊兵衛(そごう いへえ)が古着屋として、坐摩神社の南隣に店を出したのが始まりである。
明治5年(1872)に呉服店となり、明治32年(1899)に神戸にも出店する。
昭和10年(1935)に、心斎橋に地下3階、地上8階建ての本店を建設する。
戦後の昭和41年(1966)に、地域店として「千葉そごう」を出店し、これが当たり以降全国への店舗展開が始まってゆくのである。
しかしこの店舗経営が、バブル景気が崩壊すると、経営の足を引っ張ることとなり、多大な負債を抱えることとなり、平成12年(2000)に民事再生法を申請することになる。
平成17年(2005)に新会社として心斎橋本店を改修し、新しく開店することになるのだが、時の流れを止めることは出来ず、平成21年(2009)に、「そごう心斎橋本店」は閉鎖され、大丸に売却されることになる。
大丸の北館として使用されていたが、令和2年(2020)に「心斎橋パルコ」としてオープンしている。

03大丸(1)mid
「そごう」はなくなり。御堂筋の標識は「大丸そごう前」から「御堂筋大丸前」に代わってはいるのだが、「大丸」は今も心斎橋のそこにある。
「大丸」は享保2年(1717)に、下村彦右衛門が京都の伏見に呉服店を開いたのに始まり、享保11年(1726)に、大坂心斎橋に進出をする。
明治・大正にかけて呉服店から百貨店に転換する過程では問題もあったが、昭和3年(1928)に「大丸」の名で、現在の礎を築くのである。
戦後に日本各地に大丸百貨店を出店させ「先義後利」=義を先にし、利を後にする者は栄える(今で言う、顧客第一)の経営理念で小売り業界のトップとなる。
「大丸心斎橋店」は、日本で数々の西洋建築を手掛けたヴォーリズの設計により、昭和8年(1933)に完成をしている。
平成27年(2015)12月30日から建て替えのため本館が閉館され、北館と南館で営業されていたが、令和元年(2019)にリニューアルオープンされている。

04大丸(2)mid
余談だが、自分の田舎にも昭和22年(1947)に「高知大丸」(地下1階、地上5階)が開店している。
子供の頃には「大丸」で何かを買ってもらうことは高嶺の花で、食堂でお子様ランチを食べさせてもらうことなど、1年に1回あるかないかであった。
先日、高知に帰って久し振りに「大丸」へ行ったのだが、百貨店不遇の時代だということが身に染みて判ったような気がしたのである。
今や高知県内で「大丸」が唯ひとつの百貨店であり、いつまでもその名を残しておいて欲しいと思っているのだが・・・