難波神社を御堂筋に出ると、隣は南御堂の一宇である。
そこに芭蕉にまつわる石碑が、南御堂の中と南御堂前の御堂筋の分離帯とに建っている。
その一つ「史蹟 芭蕉翁句碑」と少し見上げる所に建っている石碑。
芭蕉の句碑と刻まれているのだが、ここには芭蕉が詠んだ俳句の碑は建っていない。
その碑は南御堂の境内の中に、芭蕉が亡くなる4日前に詠んだという、「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」という句が刻まれている。
「・・・かけ廻る」を「かけめぐる」と読むか「かけまはる」と読むのか二分するところだが、ここには「・・・かけまはる」と刻まれている。
自分的には、「・・・かけめぐる」と思っていて、この方がすっと受け入れられるのだが・・・。
芭蕉は俳句を読むのに直感的に詠んだと思われがちだが、推敲に推敲を重ねこの時も、「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」と「旅に病んで なをかけ廻る 夢心」と二つのどちらをと考えたようだが、最終的には「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」となったようである。
松尾芭蕉は、伊賀上野に生れるのだが、その最期は大坂の南御堂の前にあった、花屋仁右衛門方にて51才でその生涯を終えている。
その跡を示す「此附近芭蕉翁終焉ノ地ト傳」の石碑が、御堂筋の分離帯の中に建っている。
元禄7年(1694)9月に、大坂で名をなしていた2人の門人が反目し、その仲裁のために伊賀上野から、奈良を過ぎ暗峠を越えて、2回目の大坂へとやって来るのである。
しかしこの頃には体調がすぐれず、住吉さんなどに詣でるのだが、1ケ月後の10月12日に、花屋仁右衛門方の離れ座敷でその生涯を閉じるのである。


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