御堂筋は何といっても銀杏並木である。 
たそがれの御堂筋』(昭和41年(1966)発売)
作詞:古川 益雄、作曲:加藤 ヒロシ、歌:坂本 すみ子
銀杏並木の御堂筋を、肩を並べて二人きり、もっと歩こう中之島・・・
宗右衛門町ブルース』(昭和47年(1972)発売)
作詞:平和 勝次、作曲:山路 進一、歌:平和勝次とダークホース
いちょう並木に春が来る、君にも来るよ幸せが・・・
恋する御堂筋』(昭和54年(1979)発売)
作詞:石坂 まさお、作曲:水森 英夫、歌:江本 孟紀・入江 マチ子
・・・心と心が結ばれて、ふたりがひとりになった街、大阪、大阪、小雨の御堂筋
御堂筋PLANET』(平成18年(2006)発売)
作詞・作曲:矢井田 瞳、歌:矢井田 瞳
長い旅に出かけてる途中、いつも胸に流れてるメロディ、御堂筋でキタからミナミへ、未来へ育てた夢
01舗道min
御堂筋は大阪の幹線道路で、大阪を歌った歌謡曲には御堂筋が歌われ、大阪に溶け込んだ道路である。
沿道に北御堂と南御堂があるところから、御堂筋の名が付いたのだが、今はそのことよりも御堂筋といえば大阪と言われる位に、その名を知られた道路となっている。
御堂筋はキタの梅田から南に難波までの、全長4027m、幅43.6mの南行の一方通行の道路である。

02銀杏並木min
御堂筋を歩くと所々にブロンズの像が建っている。
これを一つ一つ見て歩くのも御堂筋の楽しみ方かもしれない・・・。 
途中に、完成50周年の碑が建っていて、昭和62年に五十周年とあるから、昭和12年に御堂筋が出来たことになる。
当時としては、道幅43.6m、キタからミナミへ4027mという途方もない規模の道路だったようだが、今では対面通行だと渋滞するので南行きの一方通行となっている。
当時のひとがこれを想定して、この道路を造ったのであろうか?
もし今の時代にいて、この光景を見たら想定外だと言うかも知れない。 

03銀杏min
沿道には銀杏が植えられ、秋になるとそれが色づいて、あたり一面が銀色の道となるのである。
御堂筋の銀杏並木は大阪市の名勝となっており、碑文には、
『大正10年(1921)から、昭和16年(1941)を施工期間とする大阪市の第1次都市計画事業は、都心部の過密状態を緩和し、高速鉄道と街路網を整備することによって、人口の分散を図り、良好な都市環境を形成しようとするものであった。
御堂筋の建設は単に道路を建設するということではなく、<近代都市大阪>の顔を創り上ようとするものであった。
大正8年(1919)に計画決定され、大正15(1926)から工事が始まったが、財源難の上に恐慌が重なり、用地買収も順調に進まず、困難を極めた。
幅員24間(約43.6m)、梅田-難波間を結ぶ約4Kmの御堂筋が完成したのは昭和12年(1937)であった。
歩道・車道・緩行車線・緑地帯が整然と区分され、歩道と緑地帯には銀杏が植えられた。
竣工時には淀屋橋-難波間に926本の銀杏が植えられた。
現在でも800本を超える並木が維持され良好な景観を保っている。
御堂筋の銀杏並木は近代都市大阪を象徴する歴史景観として貴重である。』
出典:【御堂筋の銀杏並木の碑文】より

04五十周年min
また昭和62年には、御堂筋が出来て50周年となり、それを記念して「御堂筋完成五十周年記念碑」が建てられ、碑文には、
『明治22年鉄道の開通によって、大阪駅を玄関とした南北軸の道路の必要が叫ばれ、大正15年、巾44m、長さ4050mという、当時としては類をみない大規模な街路御堂筋の工事に着手し、昭和12年、3375万円の巨費を投じて完成しました。
その後今日まで、道路の使われ方や周辺の様子は、時代の移り変わりにともなって、幾多の変革をくり返しながらも、道路の構造は完成時と変わることなく、関西の経済・文化を支え、また、都心のオアシスともなっている大阪を象徴するメインストリートです。
御堂筋完成50周年を迎えるにあたり、ここに記念碑を建立します。』
                  出典:【御堂筋完成五十周年記念碑の碑文】より