梅田新道は、欧陽菲菲の「雨の御堂筋」で、 
「ああ降る雨に泣きながら肌(み)をよせて、傘もささず、濡れて…夜の、梅田新道、心斎橋と雨の舗道は淋しく光る・・・」
と歌われているが、実際はそんなロマンチックな場所ではなく、四つの国道が交差するところである。 
01梅田新道(1)mid
梅田新道の交差点は、大阪駅の南側の南東角にあり、
東の東京・名古屋からきた国道1号線が終わり、西に向けて国道2号線となる。
2号線はここから神戸、姫路、岡山と山陽路を抜けて九州の小倉までと西に向かっている。
北の天橋立・福知山・宝塚からきた国道176号線が終わり、南に向けて国道25号線が始まる。
25号線は御堂筋を南下して、難波、四天王寺の横を通り、奈良を抜けて三重へと続く。
隣の梅新南・梅新東からは国道423号線が、新御堂筋として箕面・亀岡へと向っている。
ここから御堂筋の銀杏並木を見ながら南へと歩く。

02曽根崎通mid
現在、大阪駅のある梅田界隈は、その昔は「梅田墓地」という、大阪七墓の一つがあった所であり、沼地を開拓した湿地帯であり、元々は「埋田」の文字が充てられていた。
一方、堂島川と蜆川との挟まれた「堂島新地」や「曽根崎新地」は、江戸時代の頃より賑やかな街として発展してきたのである。
明治7年(1874)に大阪にも鉄道が引かれ、大阪駅は現在の四ツ橋筋に近い所に設けられていたのだが、明治34年(1901)に、梅田の現在の場所に大阪駅が移転したことにより、梅田の地は一変するのである。

03梅田新道(2)mid
その2年後に、第5開内国勧業博覧会が天王寺界隈で開催されることとなり、大阪駅のあるキタから天王寺のあるミナミを結ぶ道路の必要性が高まり、大阪駅から堂島川に架かる大江橋までの路が作られたのである。
この道が「梅田新道」である。
初めの大阪駅から入堀川につながる道が「梅田道」と呼ばれていたのに対し、移転した大阪駅からの道を、新しく出来た道として「梅田新道」と呼ばれたのである。
今では御堂筋の一区間となり、梅田新道という道は無くなり、交差点にその名を残すのみとなった。