大阪は、梅田を中心とした「キタ」と呼ばれるエリアと、難波、心斎橋を中心とした「ミナミ」と呼ばれるエリアがあり、「キタ」の方が北新地に代表される、クラブやバーといった高級といわれる飲み屋さんが多いのに比べ、「ミナミ」の方はアルサロ、ピンサロ、スナックといったごく庶民的な店が多く、「キタ」の社用族に対し、「ミナミ」の庶民性といった雰囲気の違いが感じられる。
この両エリアを真直ぐにつないでいる道が御堂筋である。
古今、御堂筋を歌った歌は数多あるが、
『たそがれの御堂筋』(昭和41年(1966)発売)
作詞:古川 益雄、作曲:加藤 ヒロシ、歌:坂本 すみ子
御堂筋のたそがれは、若い二人の夢の道・・・で始まる「たそがれの御堂筋」
心斎橋、宗右衛門町、中之島、淀屋橋がでてくる。
『大阪ろまん』(昭和41年(1966)発売)
作詞:石浜 恒夫、作曲:吉田 正、歌:フランク永井
御堂筋という言葉は出てこないが、堂島、道頓堀、曽根崎、北浜が出てくる「大阪ろまん」
『雨の御堂筋』(昭和46年(1971)発売)
作詞:林 春生、作曲:ザ・ベンチャーズ、歌:欧陽菲菲
小ぬか雨降る御堂筋、こころ変わりな夜の雨・・・で始まる「雨の御堂筋」
本町、梅田新道、心斎橋と雨の御堂筋を南へ歩いている。
『大阪ラプソディ』(昭和50年(1975)発売)
作詞:山上 路夫、作曲:猪俣 公章、歌:海原千里・万理
あのひともこのひとも、そぞろ歩く宵の街どこへ行く二人づれ、御堂筋は恋の道・・・で始まる「大阪ラプソディ」
道頓堀、戎橋、法善寺とこの歌も御堂筋を道頓堀まで歩いている。
(ちなみに妹の万理は、今の上沼恵美子である。)
今回は、この御堂筋を北から南へ4Kmの道を、これらの歌にうたわれている地を巡りながら、ぶらりと歩いてみることとする。
御堂筋は、大阪市の中心部を南北に縦断する道路で、その名は沿道に本願寺派の北御堂と南御堂があることに由来している。
大正末期に第七代大阪市長の関一(せきはじめ)により、従来の狭く短い御堂筋を、キタの梅田からミナミの難波までを、幅44m、南北に4Km、地下には地下鉄を走らせるという計画がなされるのである。
難工事の末、昭和12年(1937)に御堂筋が完成し、市民からは「飛行機でも飛ばす気か」と揶揄された。
道路には淀屋橋の南から難波まで970本の銀杏が植えられ、銀杏並木は御堂筋のシンボルとなっている。
ちなみに淀屋橋の北から梅田までの並木はプラタナスである。
淀屋橋や中之島界隈は企業のビルが、心斎橋界隈には高級ブランド店、大丸などがあり、開通当初からビルの高さを百尺(約31m)に揃えるという制限を設け、御堂筋の美しい景観が守られててきた。
しかしビルの高度利用が高まるにつれ、1990年代に高さ制限が緩和されている。
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