『大阪しぐれ』(昭和55年(1980)発売)
作詞:吉岡 治、作曲:市川 昭介、歌:都 はるみ
「泣いてすがればネオンがしみる 北の新地はおもいでばかり」/「噂並木の堂島堂島すずめ こんなわたしでいいならあげる」/「酔ってあなたは曽根崎曽根崎あたり つくし足りないわたしが悪い」とひとりで生きてゆけない女が、男につくす情念を大阪しぐれと歌う。
天満屋と大和屋
江戸時代の北の新地といえば、今の北新地ではなく、ずっと西に寄った堂島三丁目あたり、蜆川に架かる梅田橋辺りの堂島新地だったようである。
現在の北新地は、明治42年の北の大火で蜆川が埋立てられて以降のことである。
近松の「曽根崎心中」と「心中天の網島」の道行きの始まりである「天満屋」も「大和屋」もこの辺りにあったのである。

01天満屋mid
「曽根崎心中」のお初・徳兵衛の「此の世のなごり、夜もなごり。死ににゆく身をたとふれば、あだしが原の道の霜。・・・梅田の橋を鵲(かさゝぎ)の橋と契りて、いつまでも。我とそなたは女夫星。」と七五調の調子に乗せて、まず梅田橋を渡る。
その行先は「今生の末にそはむと」天神の社に向けての道行きの始まりとなる。
遊女お初が居た「天満屋」もこの辺りにあったといい、梅田橋を渡り、蜆川に沿って天神の森へと死出の旅路の道行きとなる。
今の露天神社のあるあたりにて、相対死を遂げるのである。

02大和屋mid
また「心中天網島」での小春と冶兵衛の道行きの始まりも、この辺りにあった「大和屋」からである。
この浄瑠璃は、曽根崎新地・紀伊国屋の遊女小春と冶兵衛の女房おさんとの女同士の義理立てを柱として話が進んでゆく。
二人は「大和屋」を手に手を取って、蜆川に架かる橋を名残とみて、梅田橋を渡り桜橋、蜆橋、大江橋から天神橋とこえて、天満橋、京橋から網島の大長寺あたりにたどり着く。
ここで小春が、「二人一緒に死んでは、おさんに義理が立たぬ」とて、二人髪を切り出家をし「これで立てる義理もなし」とて、冶兵衛が小春を刺し、自らは木に腰紐を結び首をつるのである。
近松の心中ものには、男と女が手に手を取っての道行きの後に、行き着く先で心中するという下りが多い。
この道行きが心中もののクライマックスとなるのだが、1時間ほどの道行きで「此の世のなごり、夜もなごり。死ににゆく身をたとふれば」と、互いの感情を昂ぶらせ、この世の未練を捨てて、二人来世に生きてゆくのである。