『雨の堂島川』(令和4年(2022)発売)
作詞:瀬戸内 かおる、作曲:岸本 健介、歌:岩本 公水
「夜の大阪堂島川に 捨てて流した恋なのに」/「羽を濡らした堂島すずめ 飛んでゆけない向こう岸」/「ネオン浮かべた涙の川は・・・濡れて大阪八百八橋」と堂島川に捨てて流した恋に未練し一人で帰る女の情念を歌う。
明治40年(1907)に、治水の為ために淀川の水路を新しく開削し、それまでの淀川は毛馬の水門で分岐させたのである。
新しい流れの川を「新淀川」と呼び、分岐されたそれまでの淀川は「淀川」と呼ばれていたのだが、いつしか「淀川」と「旧淀川」と呼ばれるようになる。
毛馬で淀川(新淀川}と分岐した旧淀川は南に流れ「大川」となり、川崎橋で寝屋川と合流し、天満橋を過ぎ松屋町筋に架かる天神橋の直前で分岐し、中之島の北と南に分かれて流れ、北を「堂島川」、南を「土佐堀川」と呼ばれている。
堂島川は御堂筋に架かる大江橋の直前で、堂島の北側に流れを分岐していた。
この川が「曽根崎川(蜆川)」である。(埋め立てられて現存しない)
中之島の西で再び堂島川と土佐堀川が合流し、安治川となって、大阪湾に注いでいる。
大川が寝屋川と合流する辺りに架かるのが「川崎橋」で、その下流400mの所に「天満橋」が架かっている。
川崎橋は、大阪市北区天満と都島区網島町とを結ぶ橋であり、この橋は自転車と歩行者専用の橋で車は通れない。
そのせいか大阪の人でも、この橋の名を知らない人が多いようで、この近隣に住む人以外は、この橋を渡ったことのある人は少ないようである。
川崎橋は、2径間連続斜張橋という形式で、メインの塔から直接ロープで橋を引っ張るという形式で、全長129.15m、幅3mの鉄筋コンクリートの橋で、昭和53年(1978)3月に完成をしている。
川崎橋の畔に石碑があり、それには、
『江戸時代このあたりの大川は、過書船・伏見船が往来し、四季折々には涼み船・月見船などで大そうにぎわったという。
対岸の備前前島(現在の綱島町の一部)は京橋口に接し、京・大和へ向かう街道に通じており、ここ川崎の地(現在の天満一丁目の一部)には、幕府の材木蔵や城代および町奉行配下の役人宅、諸藩の蔵屋敷などが建ち並んでいた。
両岸を結ぶ川崎渡しは、元禄年間にはすでに存在していた記録がある。
明治10年(1877)になり私設の大橋、川崎橋が架けられたが、同18年(1885)の大洪水によって惜しくも流失した。
その後、渡しが復活されて人々に利用されてきたが、昭和20年(1945)には廃止されている。
このような由来から、かっての渡しや橋の名を世にとどめるため、本橋を「川崎橋」と命名した。』
出典:【川崎橋命名の由来】より
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