京都まできました。
京都を語り始めるとこれだけで延々と続きそうなので、「女ひとり京の旅」と題して京のご当地そんぐを取り上げてみる。
京都を歌った唄には、女が一人で旅をする、それも恋に破れて一人物悲しく京都を訪ねるのである。
嵯峨野の雰囲気にぴったりの、
『嵯峨野さやさや』(昭和36年(1961)発売)
作詞:伊藤 アキラ、作曲:小林 亜星、歌:タンポポ
「京都嵯峨野の直指庵 旅のノートに恋の文字 どれも私によく似てる」と、嵯峨野を楽しんでいるかのように思えるが、次に
「藪の茶店で書く手紙 きのう別れたあの人に」と、ふったのか、ふられたのか。
そして、
「心がわりをした人を 責めて涙で 濡らすのか」と、祇王寺の苔の道を涙で濡らしている。
ふられて嵯峨野を一人で旅をしているのである。
『京都の恋』(昭和45年(1970)発売)
作詞:林 春生、作曲:ザ・ベンチャーズ、歌:渚 ゆう子
男と別れ傷ついて、風の噂を信じて一人旅に出たのが京都なのである。
白い京都に来て、というから冬の京都で想い出を捨てているのである。
これも恋によごれ死にたい思いを提げて、京都の町に包まれて心を癒すのである。
『京都慕情』(昭和45年(1970)発売)
作詞:林 春生、作曲:ザ・ベンチャーズ、歌:渚 ゆう子
この歌もまた、恋に苦しめられ責められた女が、別れた人を想い夕焼けの高瀬川に佇み、嵐山を二人で歩いた想い出が消せないで、夕闇の東山で遠い日を懐かしんでいるのである。
この歌も女の方から一方的に想いを寄せ、別れた人のことを忘れかねている女心を歌っている。
なんとまあ京都は恋に破れた女が似合う町なんであろう。恋に破れたといえば、
『女ひとり』(昭和41年(1966)発売)
作詞:永 六輔、作曲:いずみたく、歌:デューク・エイセス
恋に疲れた女がひとりで、
「大原・三千院を結城に塩瀬の素描の帯で」
「栂尾・高山寺を大島紬につづれの帯で」
「嵐山・大覚寺を塩沢かすりに名古屋帯で」
恋に疲れた心を癒しに訪ねるのである。
しかし、なんなんでしょうね、京の町を訪ねる女の人は恋に破れていなければならないのか。
勿論、京の町を歩いているのは、女どおしやアベックが
(今は、アベックとは云わないらしい。ではカップル、恋人、友達以上恋人未満・・・今これを表わす言葉は何なんだろう。分からない・・・)
多いのだが、女ひとりで旅をしている人はそうは見かけないので、よけいにそうなるのだろうか。
究極は、
『お座敷小唄』(昭和39年(1964)発売)
作詞:林 春生、作曲:ザ・ベンチャーズ、歌:和田弘とマヒナスターズ・松尾 和子
先斗町の芸妓が妻という字に勝てずに河原町で泣いて別れるのだが、飲んで騒いで歌うこの歌も、実は永遠に添い遂げることの出来ない人を待ち、
「お金も着物もいらないわ あなた一人が欲しいのよ」と¥
叶わぬ願いを内に秘めた歌である。
京都の歌は恋に破れた女を歌ったものが多いが、それ程に京の町は女の一人旅が似合う町なのであろうか。
それも傷心の旅が。確かにそんな雰囲気を持つ町なのではあるのだが。





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