そして、
『盛り場ブルース』(昭和42年(1967)発売)
作詞:藤 三郎、作曲:村上 千秋、歌:森 進一
全国の盛り場を歌ったもので、「泣けぬ私の 身代わりに/ついだお酒が この手をぬらす/夜のお城の つれない風に/髪も乱れる 栄 今池 広小路」と名古屋の盛り場を歌う。
夜のお城ではなく、昼のお城に行っている。
室町時代に、駿河の今川氏親が尾張を攻めるのに那古屋城を築いたが、天文7年(1538)に織田信長の父・信秀が攻め落とし、信長が清州城へ移るまで居城としたが、その後、廃城となる。
時は流れ、関ケ原の戦いで徳川方が勝利すると、徳川家康は大坂城にいる豊臣秀頼を牽制する拠点として尾張に城を築くことにし、慶長15年(1610)「天下普請」と称し、豊臣にゆかりのある外様大名に命じ、那古屋城の跡に城を造らせるのである。
慶長17年(1612)には、贅の限りをつくした本丸御殿が出来上がっている。
この築城にあたり、名古屋を尾張藩の拠点とすべく、小天守を清州城から移し、清州城下をそのまま名古屋城下へと移したのである。
尾張藩は家康の九男で初代尾張藩主・徳川義直から数えて16代、命じ維新までこの城を中心として栄えたのである。
明治になり明治5年(1872)に、名古屋城には東京鎮台第三分営が置かれ、二之丸御殿や二之丸や三之丸の建物が取り壊されてしまうのだが、姫路城と共に、名古屋城も永久保存が決まり、昭和7年(1932)には国宝に指定される。
しかし太平洋戦争の、昭和20年(1945)5月の名古屋大空襲で、寝小屋城の天守や本丸御殿など殆どの建物が消失してしまうのである。
このときは空襲から金鯱(きんしゃち)を守るために地上へ下ろすための足場を組んでいた所に焼夷弾が落ち天守最上階の開いていた窓から中に飛び込み、城の中から燃えてしまったらしいという話も伝わる。
その後、昭和34年(1959)市制70周年の記念事業として、大天守・小天守・榎御門が鉄筋コンクリートで復元されている。
リニア・鉄道館は、名古屋市港区の名古屋港金城埠頭にある鉄道博物館である。
JR東海が
「高速鉄道技術の進歩/鉄道が社会に与えた影響/楽しく鉄道について学べる」をコンセプトに、平成23年(2011)に開館された。
関内には、鉄道シュミレーターや鉄道ジオラマ、東海道新幹線やリニア新幹線のしくみや鉄道の歴史などを学ぶことが出来ると共に、歴代の新幹線や在来線など39両の車両が展示され、それが走っていた時代に思いをよせ、その頃の思い出を蘇らせてみるのも楽しみである。
ただ、JRが運営する鉄道寛だが、JR線の接続はなく、第三セクターの名古屋臨海高速鉄道あおなみ線でのアクセスとなっている。
ちなみに「新聞からご当地ソングが聴こえてくる」の愛知のご当地そんぐは、
『燃えよドラゴンズ』(昭和49年(1974))
作詞・作曲:山本 正之、歌:坂東 英二 である。
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