愛知に入ります。
と・・・まではよかったのだが、愛知のご当地そんぐが、これまた浮かんでこない。
愛知といえば名古屋だが、名古屋を歌ったものは流行らないというジンクスがあるようで、名古屋を歌った歌で知っているものは何もないのである。
さてどうしようかと考えたのだが、愛知出身の歌手といえば、常滑生まれで名古屋育ちのザ・ピーナツである。
双子のヂュオで、昭和を代表する歌手である。この二人が歌った
『今池音頭』(昭和36年(1961)発売)
作詞:高橋 掬太郎、作曲:飯田 三郎、歌:ザ・ピーナツ
をご当地そんぐとして取り上げる。
今池音頭は、名古屋市営地下鉄東山線の栄~池下の開通を記念して作られたもので、明るき息の合ったもので、今池を華やかに歌っている。
さて愛知では、犬山城と明治村に行っている。
どちらを先にいったのか定かではないが、どちらも名古屋鉄道(名鉄)の犬山駅で降りるのだが、犬山城は駅西口から徒歩20分、明治村は東口からバスで20分のところで、多分、犬山城に先に行ってから明治村に行ったように思う。
犬山城は、尾張と美濃の境、木曽川南岸の犬山にあり、高さ88mの丘に築かれた平山城で、江戸時代までに建造された天守閣が現存し、国宝に指定されている。
織田信長の叔父・織田信康が、天文6年(1537)に居城であった木之下城を移し現在の位置に城郭を築いたのが始まりで、現存天守の2階まではこの時に造られたものという。
天文13年(1544)斎藤道三攻めで織田信康が戦死をすると、子の信清が城主となるが、織田信長に敵対して敗れ、甲斐に逃げる。
天正10年(1582)本能寺で信長が明智光秀に討たれ、光秀も羽柴秀吉に討たれると後継者争いで、羽柴秀吉と徳川家康。織田信雄(のぶかつ)との間で「小牧・長久手の戦い」が起り、当時の犬山城主は信雄方の中川定成だったが、大垣城主の池田恒興が城を奪取するが、天正15年(1587)和睦が成立すると織田信雄に返還される。
その後、犬山城主はめまぐるしく変わるが、関ケ原合戦の後、慶長6年(1601)に小笠原吉次が城主となる。
江戸時代になり、元和3年(1617)に尾張徳川家の重臣・成瀬正成が城主となり、成瀬家が明治維新まで城主を務めるのである。
明治4年(1871)に廃城となり城郭の殆どは取り壊されしまうのだが、幸か不幸か天守だけは壊されずに残されて、今に当時の姿を留めている。
昭和10年(1935)に国宝に指定され、昭和27年(1952)の文化財保護法に基づき国宝に再指定されている。
明治村は、1940年代にの日本は高度経済成長の時代で、古い建物が取り壊され無機質なビルに建て替わる時代であり、その中には、明治時代から残る歴史的価値のある建物も多くあり、これらが壊されてゆくのを憂いた、第四高等学校の同窓生であった谷口吉郎(明治村初代館長・建築家)と土川元夫(元名古屋鉄道株式会社会長)が、その保存を計るために、犬山市の入鹿池の丘陵地に昭和40年(1965)に開館した屋外博物館である。
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