『ちゃっきり節』(昭和2年(1927)静岡県民謡)
作詞:北原 白秋、作曲:町田 嘉章
昭和2年に静岡市に開園した狐ケ崎遊園地のCMソングとして、静岡電気鉄道が北原白秋に依頼したもので、「ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ」に続く「蛙(きゃある)が啼くんで 雨ずらよ」は、白秋が静岡に来て遊郭遊びに更けっていた時に、芸者が言った方言がそのまま取入れたのだという。
歌は静岡中部の地名・方言が盛り込まれて30番まである。

『旅姿三人男』(昭和13年(1938)発売)
作詞:宮本 旅人、作曲:鈴木 哲夫、歌:ディック・ミネ
01清水港mid
「唄はちゃっきり節 男は次郎長 花はたちばな 夏はたちばな 茶の香」と「ちゃっきり節」にも歌われる清水次郎長。静岡といえば清水の次郎長さんである。
清水の次郎長は、文政3年(1820)から明治26年(1893)を生きた、幕末・明治の侠客である。
生れは駿河国清水で、母方の叔父・山本次郎八の養子になり、周りから「次郎八のところの長五郎」と呼ばれ「次郎長」と呼ばれるようになったという。
次郎長については、三代目神田伯山の講談や二代目広沢虎造の浪曲、村上元三の「次郎長三国志」などで知られるようになり、映画でも数多くの次郎長物が上映されている。
これらの作品では、次郎長だけでなく「清水二十八人衆」という子分が出てくるのだが、実在の人物もいたり、また架空の人物がいたりと虚実あいまって画かれている。
この歌は、その中でも人気のあった大政、小政、石松を取り上げた股旅物である。
小政は、「祖水港の名物は お茶の香りと 男伊達・・・粋な小政の旅姿」
大政は、「富士の高嶺の白雪が 溶けて流れる 真清水で・・・なんで大政国を売る」
石松は、「腕と度胸じゃ負けないが 人情からめば ついほろり・・・森の石松よい男」
と歌われる。

また股旅ものの一つとして、
『大井追っかけ音次郎』(平成13年(2001)発売)
作詞:松井 由利夫、作曲:水森 英夫、歌:氷川 きよし がある
02大井川mid
「渡る雁(かりがね) 東の空に/意地は三島の 東海道も・・・」
「寄るに寄れない 清水の港/島田くずして 嫁菜をつんだ・・・」
「越すに越せない しおからトンボ/情け掛川 みかんの小枝・・・/やぱりね そうだろね 未練だね 大井追っかけ音次郎 音次郎」
(嫁菜:よめなとは、道端でみかける野菊の一種で、食用となる)
と、氷川きよしの「箱根八里の半次郎」に続く股旅もの2曲目で、以降股旅ものとして、
「番場の忠太郎」「三味線旅がらす」「甲州路」「月太郎笠」「近江の鯉太郎」「花の渡り鳥」などがある。

そして三島に伝わる民謡で、
『農兵節(ノーエ節)』(静岡三島の民謡)
03三島駅mid
「農兵節」というよりも「ノーエ節」として良く知られている。
その成り立ちは、幕末、三島で洋式農兵訓練の行進曲として使われた、また三島宿の草取歌が発展したもの、横浜の野毛山節が三島に伝わったなどなど所説あるが、大正末期に三島民謡として発展させ、昭和9年(1934)に赤坂小梅がレコードに吹き込んで、三島民謡として一躍有名になるのである。
ノーエ節は、1番からしりとり調となっていて、
「富士の白雪が朝日でとけて、それがとけて流れて三島にそそぐと、三島女郎衆はお化粧が長い」と続き「お化粧長けりゃお客がこまる」となるのだが、何故「お客がこまれば石の地蔵さん」となるのか分からないが「石の地蔵さんは頭が丸く、丸けりゃカラスがとまる」となり、カラスがとまる姿から娘島田を連想し「島田は情でとける」
そして「とけて流れてノーエ とけて流れてノーエ とけてサイサイ 流れて三島にそそぐ」と終わるり、また始めに戻ってゆくのである。
歌の切れ目に必ず「ノーエ」との合いの手が入ることから、「農兵節」が「ノーエ節」と呼ばれるようになる。