静岡に入る。
静岡のご当地そんぐは色々と浮かんでくるのだが、実はずっと熱海は神奈川だと思っていて、もし熱海が静岡でなかったら、静岡には行ったことがなくなってしまっていたのである。
思ってみるに、静岡には熱海にしか行ったことがなかったのである。
そんな訳で、静岡については行ったことのない土地を、ご当地そんぐで訪ねてみようと思うのである。
『湯の町エレジー』(昭和23年(1948)発売)
作詞:野村 俊夫、作曲:古賀 政男、歌:近江 俊郎
「伊豆の山々 月あかく 灯りにむせぶ 湯のけむり・・・」
『伊豆の佐太郎』(昭和27年(1952)発売)
作詞:西条 八十、作曲:上原 げんと、歌:高田 浩吉
「故郷見たさに 帰ってくれば 春の伊豆路は 月おぼろ 墨絵ぼかしの 天城を越えて・・・」
歌う映画スターの先駆けであった高田浩吉が歌う股旅ものの一つである。
『天城越え』(昭和61年(1986)発売)
作詞:吉岡 治、作曲:弦 哲也、歌:石川 さゆり
「隠しきれない 移り香が いつかあなたに 浸みついた
・・・浄蓮の滝 ・・・わさび沢 ・・・寒天橋 ・・・天城隧道
恨んでも 恨んでも 躯うらはら くらくら燃える 地を這って あなたと 越えたい 天城越え」
と、石川さゆりが女の情念を切々と歌い込む・・・
そして今回とりあげるご当地そんぐが、
『踊子』(昭和32年(1957)発売)
作詞:喜志 邦三、作曲:渡久地 政信、歌:三浦 洸一
と
『伊豆の踊子』(昭和58年(1963)発売)
作詞:佐伯 孝夫、作曲:吉田 正、歌:吉永 小百合 である。
伊豆の踊子は、川端康成が大正15年(1926)に発表した短編小説で、20才の一高(現。東京大学)生の「私」が、歪んだ孤独と憂鬱に耐えられず、伊豆を一人で旅をするのだが、「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた」と、伊豆市湯ヶ島の天城隧道から始まる。
天城隧道(天城トンネル)は標高711mの天城峠にあり、明治38年(1905)に、湯ヶ島町と河津町とをつなぐトンネルとして開通する。)
「私」が、雨に降られて峠の茶店に飛び込むと、先ほどの旅芸人と再会し、彼らと一緒に湯ケ野まで旅をすることになる。
その情景を、「踊子」では、
「天城峠で会うた日は 絵のようにあでやかな 袖が雨に濡れていた・・・」と歌い、
「伊豆の踊子」では、
「天城七里は 白い雨 あなたと逢えたは 峠の茶店・・・」と歌う。
一行は大島から来た家族で、踊子は薫という名で14才、兄・栄吉と妻の千代子、千代子の母と雇われ娘の五人で、湯の町を流して歩く旅芸人である。
「伊豆の踊子」では、
「三里下って 湯ケ野まで あなたを入れても 六人一座 長い黒髪 大きく結って おませにみせる 舞姿・・・」と歌う。
湯ケ野の宿で踊子のことを思いながら、翌朝、湯につかっていると、川向うの浴場から踊子の薫が裸で手を振るのを見て、その無邪気さに笑みがこぼれた「私」であった。
湯ケ野の町を座敷からざしきへと流す日が続き、下田港へ着くといよいよ別れの時となる。
別れの朝、船乗り場に近づくと踊子が一人「私」を待っていた。
話しかけても黙って頷くだけで、船に乗り込もうと振り返った時、「さよなら」も言えず頷いただけであった。
「踊子」では、
「下田街道 海を見て・・・さよならも 言えず泣いている 私の踊子よ ああ船が出る」と歌い、
「伊豆の踊子」では、
「別れ港の 下田の鴎 さよなら 明日 言えるやら 花もつぼみの 紅椿」と歌う。
そして伊豆の踊子は、「頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零こぼ れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。」と終わっている。
伊豆の踊子は、今までに6回映画化されていて、いずれも清純スターといわれる上祐が踊子を演じている。
伊豆の踊子を誰が演じたかを言うことで、その人の年代が分かるという半面ももっているのであるのだが・・・
「伊豆の踊子」の映画化は、
田中 絹代 昭和 8年(1933)初の映画化(松竹)
美空 ひばり 昭和29年(1954)「椿の花は咲いたけどなぜに咲かない恋の花!」(松竹)
『伊豆の踊り子』(昭和29年(1953)
作詞・作曲:木下 忠司、歌:美空 ひばり
鰐淵 晴子 昭和35年(1960)初のカラー映画(松竹)
吉永 小百合 昭和38年(1963)撮影を見た川端康成は、踊子姿の吉永小百合に懐かしさをを感じたという(日活)
『伊豆の踊子』(昭和58年(1963)
作詞:佐伯 孝夫、作曲:吉田 正、歌:吉永 小百合
内藤 洋子 昭和49年(1967) (東宝)
山口 百恵 昭和49年(1974) (東宝)
『伊豆の踊子』(昭和49年(1974)
作詞:千家 和也、作曲:都倉 俊一、歌:山口 百恵 である。
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