岐阜の段が少し長くなったが、これだけは外せないので、これをもって岐阜を離れることにしよう。
それは、『柳ケ瀬ブルース』(昭和41年(1966)発売)
作詞・作曲:宇佐 英雄、歌:美川 憲一 である。
柳ケ瀬ブルースは美川憲一の3枚目のシングル曲で、美川憲一をスター歌手にした曲であり、また岐阜の一繁華街であった「柳ケ瀬」の名を全国に知らしめた歌でもあった。
この曲は「ご当地ソング」のはしりだと言われ、昭和42年に「新潟ブルース」を、昭和43年に「釧路の夜」を歌い、美川憲一の三大ご当地ソングとして知られている。
長良川の鮎料理
岐阜には、会社に入ってすぐに、先輩にくっついて岐阜の協力会社に行った時に、長良川の畔だったか鮎料理をご馳走になったという記憶だけが残っているのが、初めて岐阜に行ったことである。
長良川は、郡上八幡の大日ケ岳に源を発し、三重県桑名市で揖斐川と合流し、伊勢湾に注ぐ、木曽三川の一つである。
木曽三川(さんせん)は、揖斐川、長良川、木曽川の三川をいう。
また高知県の四万十川、静岡県の柿田川とともに、日本三大清流と呼ばれている。
長良川の鵜飼いは、大宝2年(702)の戸籍に鵜飼いを生業とする集団が居たことが伝えられており、1300年前から始められていたことが伺える。
当初は漁としての鵜飼だったのだが、それをもてなしの手段としたのが、織田信長である。
そして徳川家康・秀忠父子も鵜飼を見て以降、将軍家に鮎鮨が献上されたり、尾張徳川家により庇護を受けてきた。
貞享5年(1688)6月、松尾芭蕉は鵜飼を見て、その時に「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」と詠んでいる。
平湯大滝は、高山市奥飛騨温泉郷平湯にあり、幅6m、落差64mの滝である。
戦国時代、武田信玄の家臣・山県昌影が飛騨攻めで、峠越えの疲労と硫黄により平湯大滝で動けなくなった時に、どこからともなく一匹の白猿が温泉に導いてくれ、この湯につかって回復したという伝えがあり、この温泉が平湯温泉である。
平湯大谷は、
『平湯大滝は幅6m、落差64mの滝で、平湯温泉の発祥を伝える「白猿伝説」
今から450年前、甲斐の国の軍勢が飛騨に攻め入りました。
このとき、疲労困憊した甲斐の兵士達がやっとの思いで平湯大滝までたどり着き、ぼんやちと滝を眺めていると、滝の口から一匹の年老いた白猿が降りてきて、山中にこんこんと湧き出る温泉へと導いてくれました。
これが平湯温泉の始まりと伝えられています。』
出典:【平湯大滝について】より
『この付近には、今から約3億年前の古生代に海底に堆積した泥が固まってできた堆積岩が、広く分布しています。
平湯大滝より上流では、この堆積岩の上に安山岩である溶岩がのっています。
この溶岩は、今から約1~2万年前に噴出し、現在、乗鞍火山のなかま、四ツ岳を形成しています。
この安山岩である溶岩の先端が崖になっているために、このような滝ができています。
火山の多い我が国では、このように溶岩の末端に滝ができることが多く、日光の華厳滝、立山の称名滝、さらにこの近くでは焼岳の白水滝などがあります。』
出典:【平湯大滝付近の地質】より
ちなみに「新聞からご当地ソングが聴こえてくる」の岐阜のご当地そんぐは、
『柳ケ瀬ブルース』(昭和41年(1966)発売)
作詞・作曲:宇佐 英雄、歌:美川 憲一 である。
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