そして、
『上高地の春』(昭和61年(1986)発表)
作詞:井上 勝稔、作曲:岩﨑 良信、歌:ダークダックス
01地図mid
上高地に行ったのは、上高地にマイカーの乗り入れが出来なくなることが決まり、その規制が入る前に行こうということになり、友達と一緒に車で出かけることにした。
上高地に車でゆくには「釜トンネル」を通らなければ、行くことが出来ないのである。
釜トンネルの名は、並走して流れる梓川の急流の水しぶきが、沸騰する釜から立ち上る湯気のように見えたことから釜ケ淵と呼ばれることに因んでいる。
釜トンネルは、大正15年(1926)に大正池を水源とする発電所建設のために、梓川沿いに車道を造り昭和2年(1927)に開通する。
この時の釜トンネルは、長さ320m、幅と高さ2mであった。
昭和12年(1935)に土砂崩れのため新しいトンネル270mを掘り、当初のものと合わせ長さが520mとなる。
昭和25年(1950)に幅と高さが3.2mとなり、更に4.3mに広がるが、16.5%の急勾配と途中での急カーブのため、この頃の車ではローギヤで走らなければトンネルを通過出来なかった。
また、トンネルの前後の入口に信号機を設置し、時間を瀬ッてっしての交互通行のトンネルであったため、赤信号にひっかると20分位待たなければならず、その待ち時間が長く長く感じられたものである。
ところで、この時は岐阜の高山側か、長野の松本側のどちらから向ったのだろうかと、思い出してみるに、この頃は、まだ岐阜側からは安房(あぼう)トンネル(平成9年(1997)供用開始)は出来ておらず、難国道といわれる安房峠を越える必要があり、この険しい峠を越えたという記憶はないので、多分、松本側の新島々から向ったようである。

02安房峠mid
2回目の上高地行きは、家族で高山に。
平湯温泉で一泊し、次の日、新穂高のロープウエイに乗るか、上高地に行くかと迷った結果、一泊した平湯の宿に車を置かせてもらい、平湯のバスターミナルからバスで上高地へと向った。
バスは安房峠に向って走りだしたが、何と安房峠を越えることなく、その下を貫くトンネルを通り、峠越えすることなく一気に峠を通ったのである。
このトンネルが、岐阜高山の平湯から長野松本の中ノ湯まで5.6Kmの片側2車線の安房トンネルである。
それまでは安房峠越えは30分(混雑時は数時間も)かかっていたが、安房トンネル通過で5分に短縮された。
また釜トンネルも第三世代で、長さ1,310m、幅7m、高さ4.7m、勾配10.9%(高低差145m)、2車線のトンネルとなっていた。
昔の信号機による交互通行で何十分も待たされるのだろうかと思っていたのだが、それもなく一般車両の乗り入れも禁止され、車も多くなく通常のトンネルと同じ感覚で通過してしまって、このトンネルが釜トンネルだと一瞬錯覚をしてしまった次第である。