そして、
『新潟ブルース』(昭和42年(1967)発売)
作詞:山岸 一二三、補作詞:水沢 圭吾、作曲:山岸 英樹・中川 博之、歌:美川 憲一
『越後獅子の唄』(昭和25年(1950)発売)
作詞:西条 八十、作曲:万城目 正、歌:美空 ひばり
この唄を聞くと、誰が歌う「越後獅子の唄」よりも上手だった、若い女のお客さんが歌ってくれた、冬の北海道を思い出すのである。
この歌は、昭和26年(1951)に公開された、美空ひばりが越後獅子の少年を演じた「とんぼ返り道中」の挿入歌として歌われたものである。
越後獅子(角兵衛獅子ともいう)は、旧、西蒲原郡月潟村(現、新潟市南区)を発祥とする郷土芸能である。
子供が、縞模様のもんぺと錏(しころ:兜の左右や後ろに垂れて頸をおおうもの)の付いた小さい獅子頭を頭にかぶった格好で演じる演じる獅子舞の大道芸である。
越後獅子が広まったのは、江戸時代の宝暦5年(1755)頃のことで、天災にあった月潟村の者が日銭を稼ぐために、子供に越後の獅子舞をさせたのがきっかけで、江戸では越後獅子を連れて来た親方の名が角兵衛だったことから、角兵衛獅子と呼ばれるようになる。
越後獅子は明治時代になり、親方とが鞭やバチで叩くいて芸を仕込むことや、学校にも通わせないことなどが問題視されるようになり、昭和8年(1933)「児童虐待防止法」の成立により、児童を使った金銭目的の大道芸が禁止となり、越後獅子(角兵衛獅子)は姿を消すこととなる。
新潟にはもう一回、仕事で2週間泊まったことがある。
その時に、日曜日が間に挟まりどうしようかと、土曜の夜に上越新幹線と東海道新幹線を乗り継いで京都に帰ろうか(5時間ほどで帰れる)とも思ったのだが、せわしないので、日曜日を新潟で過ごすことにした。
さてと、1日時間をつぶすにはと考えたのだが、新潟駅前から出ている1日観光バスに乗ろうと思い付き、弥彦山麓にある弥彦神社を訪ねる1日コースがあったのでそれに乗ることにした。
全員で10名ほとの人数だったようだったと思うのだが・・・
どこを通ったのか定かではないが、万代橋は渡ったように思う。
万代橋が最初に架けられたのは、明治19年(1886)で、現在の橋は昭和4年(1929)に架けられた3代目の橋である。
日本一の長流信濃川に架かり、新潟駅から古町にいたる東大通、萬代橋通と柾谷小路(まさやこうじ)とを結び、幅22m、長さ307mで、側面に御影石の化粧板を施した6つのアーチを連ねる鉄筋コンクリートの橋である。
昭和初期の現存するコンクリートの橋として、新潟のシンボル的な敵構造物であり、平成14年(2002)に国の重要文化財に指定されている。
橋の名は、「よろずよばし」と呼ばれ「萬代橋」と書かれていたが、のち「ばんだいばし」と呼ばれるようになり「万代橋」と表記されるようになったが、平成16に漢字表記を当初の「萬代橋」に戻している。
この赤い大鳥居をくぐったような、くぐらなかったような、新潟駅から弥彦神社までは1時間ほどで着いたように思うのだが・・・
弥彦神社は、日本海岸にそびえる弥彦山(標高634m)の山麓にあり、弥彦山を御神体山として祀る神社である。
祭神の天香山命((あめのかごやまのみこと)は、神武天皇の御代に越後国の野積の浜(現・長岡市)に上陸し越後の国を鎮め、漁業・製塩・稲作・養蚕など生活の術を授けたとされ、
越後国を造った神として崇敬された。
古くから「おやひこさま」と呼ばれ、越後国一ノ宮として崇められ、多くの人から親しまれてきた。
社殿は杉の大木がうっ蒼と茂る中にあり、本殿は大正5年(1916)に建てられたものである。
弥彦山は越後平野の西南海岸沿いにあり、標高638mながら新潟県の広い地域から眺めることが出来る。
弥彦神社の祭神・天香山命を祀った山として信仰を集め、山全体が弥彦神社の神域となっている。
佐渡ヶ島とともに「佐渡弥彦米山国定公園」になっていて、雪彦山(せっぴこさん:兵庫県姫路市北部)、英彦山(ひこさん:福岡県と大分県)とともに、日本三彦山と呼ばれている。
弥彦神社で昼食を取り、帰りは寺泊の「魚の市場通り」に立ち寄った。
「魚の市場通り」は長岡市寺泊にある海産物市場で、日本海に面した国道402号線沿いに、鮮魚店や土産物店、食堂など十数店舗が軒を連ねていて、「魚のアメ横」とも呼ばれている。
ここで何を食べたのか、ビールを飲んだのか全く思い浮かばない。
更にバスは途中の燕三条に停車する。
越後地方は日本一の信濃川を有し日本の米どころとして知られるが、洪水や積雪などにより農作物以外の副業を模索し、江戸時代に、材料・燃料資源、物流を担う河川、などの条件が整っていた燕三条では「和釘」の製造が推奨され「鍛冶」が盛んとなり、その技術の集積が、刃物や洋食器などの金属加工の地域として発展してきたのである。
ここで食器製造の工場見学をし、お土産にスプーンを貰った記憶があるのだが、そのスプーンはどこへいったやら・・・
また燕三条市という市がありそうだが、実際は存在せず、行政区分は燕市と三条市とに分かれていて、両市の市境にあるJRの駅は「燕三条」駅で、高速道路は「三条燕インターチェンジ」の名が付いている。
両市の合併の話もあったようだが、住民投票で僅かに反対票が上回り実現しなかったようである。
そうこうしているうちにバスは新潟駅に戻り、1日の休日を楽しんだのであった。
ちなみに「新聞からご当地ソングが聴こえてくる」の新潟のご当地そんぐは、
『佐渡おけさ』(新潟県民謡) である。
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