そして、
『雪椿』(昭和62年(1987)発売)
作詞:星野 哲郎、作曲:遠藤 実、歌:小林 幸子
『越後水原(えちごすいばら)』(平成27年(2016)発売)
作詞:伊藤 薫、作曲:弦 哲也、歌:水森 かおり
雪椿を歌った小林幸子は新潟県新潟市出身で、越後水原は白鳥が飛来する瓢湖を歌った歌である。
若いころにスキーにのめり込んでいて、信州・越後のスキー場に行ったのだが、その時に池の平スキー場に行ったのが、始めて新潟に足を踏み入れた時であった。
妙高高原のスキー場にも行っている。
そして随分時間が過ぎて「6県10景東北大周遊四日間」というツアーで東北を廻ったのだが、その時の1景目が新潟の村上であった。
金沢から11時59分発の北陸新幹線「はくたか562号」で上越妙高に向かう。
途中、「新高岡」「富山」「黒部宇奈月温泉」「糸魚川」と停車する。
「上越妙高」から先は、「長野」「軽井沢」「高崎」を通り東京までの列車である。
北陸新幹線は、平成9年(1997)高崎~長野間が開通し「長野新幹線」として営業を始める。
平成27年(2015)に長野~金沢間が開通し「北陸新幹線」に名称が変更されている。
高崎~上越妙高まではJR東日本、上越妙高~金沢まではJR西日本の運営となっている。
令和6年(2024)に、金沢~敦賀間が開業し、最終的には敦賀から京都府内を通り大阪まで伸びることになっている。
運行列車は、
「かがやき」が、金沢~東京間を最速で走り、上越妙高には停車しない。
「はくたか」は、金沢~上越妙高まで各駅に止まり、以降列車によって停車する駅が変わってくる。
「あさま」は、東京~長野間を走り、
「つるぎ」は、名古屋、大阪、福井方面から富山まで運転していた「しらさぎ」や「サンダーバード」が金沢止まりとなり、その代替えとして走らせている。
上越妙高では、日本海交通(新潟県燕三条本社があるバス会社)のバス待っており、これから3泊4日の1日走行距離350Km以上を走る長いバス旅行が始まるのである。
上越妙高から新潟県を北に向かって北陸自動車道を走る。
日本海を左に見ながら、大潟、長岡、燕三条と過ぎ、その間日本海を隔てて佐渡島が見え、弥彦神社がある弥彦山を見つつ、燕三条では上越新幹線が高速道路と並行していたりと、景色を眺めながら1時間半ほど走り、黒埼PAで休憩をとり、黒埼PAを出ると新潟市はすぐである。
北陸自動車道から日本海東北自動車道に入り、新潟県村上市にある1景目の「千年鮭きっかわ」に向かう。
黒埼PAから1時間ほどで、村上市役所の駐車場に到着をする。
駐車場から赤坂屋小路を抜けると、越後国村上町「千年鮭きっかわ」がある。
『赤坂屋は、大町、大手門脇にあった商家、大年寄伊與部助次郎である。
赤坂屋小路の名前はこの赤坂屋の敷地内に作られた私道に由来すると思われる。
文政9年(1826)の町絵図では間口22間5尺6寸、奥行は堀まで28間5尺という広大なものであった。
酒造業を営んでいたが、持株は5本で、2120株、村上町は全部で38本、1万109株であったからその2割を持っていた。』
出典:【坂屋小路の駒札】より
村上市は平安時代、京の都に鮭を税として納めていたといい、村上では千年の昔より鮭は特別な魚であった。
江戸時代に鮭が捕れなくなった時に、村上藩の青砥武平治が鮭を川に呼び戻そうと三面川(みおもがわ)を改良し、世界初の鮭の増殖に成功している。
村上を豊かにしてくれたの鮭恵に対し、鮭は頭を下にして、腹は全部開かず一部を割かずにいるのは、首をつらさず切腹をさせずという感謝の気持ちを表しているのだという。
きっかわの建物は、明治時代に建てられたもので、天井の梁には千尾以上もの鮭が吊るされており、北西の冷たい風に晒し、じっくりと干すことにより鮭を余すところなく使うという。
茶の間は明治に造られたもので、奥にある蔵は江戸末期の建物であり、店舗とともに国の登録文化財に師弟されている。
村上市役所の駐車場から小高い山が見えるが、ここが村上城があった所だという。
村上城は、臥牛山(がぎゅうさん:標高135m)に築かれた城で、16世紀頃に本庄時長により築城され、永禄11年(1568)に上杉謙信と戦いを構え、1年間交戦をするも伊達、葦名の斡旋で和睦をしている。
江戸時代に入り、本庄氏は会津に転封となり、村上頼勝が城を築き村上城と呼ばれるようになり、堀、松平と城主を替え享保5年(1720)に内藤氏が城主となり、明治維新を迎えるのである。
戊辰戦争では一部が庄内藩と合流し、新政府軍と戦っている。
明治になり残っていた城郭を破却し、現在は何も残ってはいないなだが、この山上に村上城があったのである。
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