ご当地そんぐは、
『ひばりの佐渡情話』(昭和37年(1962)発売)
作詞:西沢 爽、作曲:船村 徹、歌:美空 ひばり
『佐渡おけさ』(新潟県民謡)
「おけさ」は、熊本県天草の牛深港に伝わる民謡「牛深ハイヤ節」が、北前船により佐渡の小木港に伝わり、そこから金山の鉱夫達に広まってゆき「佐渡おけさ」が生れたのだという説が一般的である。
01地図mid
佐渡に行ったのも遠い昔になるのだが、国鉄の長距離列車がダイヤ改正で無くなっていく中、大阪から直江津まで汽車にのり、そこから佐渡に渡ろうと計画をした。
その頃の汽車は、「大阪」から東海道本線を「米原」まで行き、「米原」から北陸本線で「金沢」「富山」を経由して「直江津」まで、そこから信越本線で「新潟」まで走っていた。
いまは、「大阪」から東海道本線で「山科」まで行き、そこから湖西線で「近江塩津」で北陸本線に入り「敦賀」「金沢」までをJRが走る。
その先は、「金沢」から、IRいしかわ鉄道で「富山」まで、「富山」から、あいの風とやま鉄道で「糸魚川」まで、「糸魚川」から、えちごトキメキ鉄道で「直江津」まで、そこから信越本線で「新潟」までと、JR一本では行けず、何社もの鉄道を乗り継がなければ行けなくなってしまった。
話がそれたが、直江津の港からフェリに乗って、佐渡の小木の港に渡った。
このフェリが揺れて船酔いし、小木の港まで寝ていて日本海の景色など見ることも出来なかった。
佐渡では尖閣湾や金山などを見て佐渡で一泊し、帰りは両津港から新潟へと帰っている。

02金山mid
佐渡おけさに「雪の新潟、吹雪に暮れてヨ、佐渡は寝たかよ灯も見えぬ」とあるように、佐渡は新潟港から海上64Km、面積は858㎢、周囲217Kmの島である。
佐渡の地形は、北方に大佐渡、南方に小佐渡の平行した二つの山脈があり、それに挟まれた国仲平野と加茂湖と国府川とから成り立っている。
大佐渡は金北山(標高1173m)が最高峰で、小佐渡は大地山(標高654m)を最高峰とする。
海岸線は殆どが断崖となっていて、海岸に沿って段丘に水田や牧場などを見ることが出来る。
また佐渡は配流の地であり、承久3年(1221)に、鎌倉幕府・執権の北条義時が、順徳上皇を流したのをはじめ、文永8年(1271)日蓮上人が、正中2年(1325)日野中納言資頼(すけとも)が、永享6年(1434)世阿弥が、元和元年(1615)小野大納言実起(さねおき)などが佐渡に流されている。
佐渡の国名は迫門(あるいは狭門)と船の入る水門(みなと)が狭いという意味からきているという。
佐渡がその名を知られるようになったのは、慶長6年(1601)に相川金山が発見されたことで、以来、徳川幕府の金蔵となり、人々の往来が盛んになり、佐渡に都の文化がもたらされた。

03尖閣湾mid
佐渡金山は、金・銀・銅を産出し、山を二つに割った大露天堀道遊の割戸、狸堀のたくさんの小穴や無縁仏、墓碑の名などに流人の労苦が偲ばれる。
尖閣湾は、相川町から佐渡の北端弾崎(はじきざき)までの外海府海岸の入口にあたる。
日本海の風波に洗われた、荒削りの断崖と岩肌は雄大で、黒褐色の岩壁には、ワンゾウや岩ユリなどが咲き楽しませてくれる。