新宿から小田急電鉄に乗って神奈川県川崎市の登戸に行っている。
ここには「藤子・F・不二雄ミュージアム」があり、東京ディズニーランド・シーに行く時は、一日目の朝早く出発し、東京近辺の名所や観光地などを訪ね一泊して、次の日に東京ディズニーランド・シーに行って帰ってくるという行程であり、何回目の時にここに行っている。
この時に小田急の電車が遅れていて、定時運行ではなかったとの記憶があるのだが、これが4回目の神奈川である。
まさか『ドラエえもんの歌』をご当地そんぐとする訳にもいかず、神奈川では外せないご当地そんぐを取り上げて、神奈川を後にしたい。
『箱根八里』(明治34年(1901)制定)
作詞:鳥井 忱(まこと)、作曲:滝 廉太郎、歌:文部省唱歌
『箱根八里の半次郎』(平成13年(2001)発売)
作詞:松井 由利夫、作曲:水森 英夫、歌:氷川 きよし
「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と箱根馬子唄にも歌われた箱根八里は、東海道の小田原宿(標高10m)から箱根宿(箱根峠・標高846m)までの四里(16Km)と、箱根宿から三島宿(標高25m)までの四里を合わせたもので、東海道一の難所とされた峠越えであった。
『ダンチョネ節』(大正時代の流行歌)
作詞・作曲:不詳、歌:神奈川県民謡
ダンチョネ節は、三浦三崎を中心に広まった歌で、もともとは船乗りの悲哀を歌ったもので、それを元にして色々(学生歌・君帯ソング・流行歌など)な替え歌が歌われている。
三浦三崎の民謡は、
「三浦三崎でョ どんと打つ波は/可愛いお方のサ 度胸試し/ダンチョネ
泣いてくれるなョ 出船の時に/沖で櫨櫂(ろかい)もサ 手につかぬ/ダンチョネ」
と歌われ・・・
軍隊そんぐは、
「沖の鴎と 飛行機乗りは/どこで散るやらね はてるやら/ダンチョネ
飛行機乗りには 娘はやれぬ/やれぬ娘がね 行きたがる/ダンチョネ」
と歌い・・・
小林旭の「アキラのダンチョネ節」は、
「いやだ やだやだ 別れちゃやだと/いまも聞こえるサ この胸に/ダンチョネ
沖の瀬の瀬で どんと打つ波は/なぜに出船をサ 押し戻す/ダンチョネ
忘れまいぞと あとふりむいて/ダンチョうたえばサ また涙/ダンチョネ」
と続き・・・
究極は八代亜紀が「舟唄」で、
「沖の鴎に 深酒させてョ/いとしあの娘とョ 朝寝する/ダンチョネ」
と歌うのである。
ちなみに「新聞からご当地ソングが聴こえてくる」の神奈川のご当地そんぐは、
『ブルーライト・ヨコハマ』(昭和43年(1968)発売)
作詞:橋本 淳、作曲:筒美 京平、歌:いしだ あゆみ である。
余談だが、「ブルーライト・ヨコハマ」を歌った、いしだあゆみさんが、76才で亡くなったという報道があった。
まだまだ活躍される方だったのに、ご冥福をお祈りいたします。
ダンチョネ節を歌いながら神奈川をあとにして、新宿から信越本線(高崎が始発駅)に乗って新潟へと向い、信越・中部のご当地そんぐを訪ねることにしよう。
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