ご当地そんぐは、
『八木節』(群馬県民謡)

01茂林寺mid
群馬に始めて行ったのは、会社で始めてテレビCFをする為の撮影を群馬県館林でするというので、それに立ち会うことになり館林に出張した。
当時は、そこが東京でないことだけは分かったのだが、関東の何処にいるのか良く分からず、近くに文福茶釜で有名な茂林寺と川と沼があったような記憶が残っているだけであった。
(後で調べてみると、東武伊勢崎線の「茂林寺前」の近くに川(谷田川の分流)と沼(茂林寺沼)があり、茂林寺もあったのでここで間違いはないようである。)

02茂林寺駅mid
茂林寺は文福茶釜で有名なのだが、開山の大林正通は伊香保で出会った老僧・守鶴を伴って館林に小庵を結び茂林寺を建立する。
守鶴は代々の住職に仕え、ある年、茂林寺で千人法会が催されることになり、湯釜が必要となった。
守鶴は、どこからか茶釜を持ってきたのだが、この茶釜は湯を汲んでも尽きることがなく、守鶴はこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この湯を飲む者は八つの功徳が授かると言った。
その後、守鶴はうかつにも熟睡し、手足に毛が生え、尾が付いた狸(貉(むじな)とも)の正体を現わしてしまい、名残を惜しみながら去ってゆくのである。
この話が、巌谷小波によって「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られるように
なったのである。

03八木節mid
「八木節」は、両毛(栃木県南西部と群馬県南東部に跨る地域)地域で、酒樽を叩き笛で伴奏をとる軽快な調子の栃木と群馬の民謡である。
八木節の名は、日光街道の宿場、八木宿(現・栃木県足利市)に因むというのだが、自分的にはどうしても群馬の民謡という感じが強いので、あえて群馬のご当地そんぐとして取り上げた。
八木節は七七調の口説で作ることが出来、どんな歌詞でもよく、歴史上の人物の物語(国定忠治や鈴木主水など)や観光名所や名物の紹介など即興でもよく、その数は無限だといえるのである。
大正時代に堀込源太なる人物によりレコードに吹き込まれ、全国的に有名となり、「安来節」「佐渡おけさ」とならび、日本の三大民謡といわれるようになる。