ご当地そんぐは、
『次男坊鴉』(昭和30年(1955)発売)
作詞:萩原 四朗、作曲:倉若 晴生、歌:白根 一男

01三猿mid
2回目に栃木に行ったのは会社に入ってすぐの時で、栃木が田舎だという友達と一緒に彼の故郷である「黒磯」に行っている。
黒磯は東北本線で宇都宮を過ぎ那須塩原の次の駅で、東北の入口である白河の関まではそう遠くない所である。
この時に那須岳に登っている。
那須岳は那須連山の茶臼岳や朝日岳、三本槍岳の総称で、那須岳に登ったというのは正確には、茶臼岳(1,915m)の山頂まで那須ロープウエイで運んでもらったのである。
友達もこの時に始めてロープウエイに乗ったと言っていた。
しかし茶臼岳に登ったものの、この日は生憎の霧で周りの景色は殆ど見えなかったという記憶が残っている。

02眠り猫mid
さて栃木のご当地そんぐなのだが、誰もが思い浮かぶのが
『渡良瀬橋』(平成5年(1993)発売)
作詞:森高 千里、作曲:斎藤 英夫、歌:森高 千里
この歌は、足利市の中央を流れる渡良瀬川に架かる橋で、森高千里がこの橋をモデルにして作った楽曲で、一躍、渡良瀬橋を有名にしたのだが、自分はこの曲を聞いた時には渡良瀬橋がどこにあるのか全くわからず、この橋が栃木県足利市の渡良瀬川に架かる橋だとは知る由もなく栃木のご当地そんぐはと・・・
ところがふとしたことで思い出したのが『次男坊烏』
その歌いだしは、『潮来笠』のように「潮来の伊太郎ちょっとみなれば・・」と、潮来生まれの伊太郎とはっきり分かるようなものではなく、「どこへ飛ぶのか次男坊鴉・・・」と名も無い渡世人から始まるのだが、「笠にみぞれの散る中を・・・」日光街道を旅しているのだが、小粋(あかぬけて意気なこと)に別れた娘が思い出されて、日光街道の灯がうるんで見えるというシーンである。

03東武日光mid
日光街道は江戸時代の五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の一つで、江戸の日本橋から千手、宇都宮、今市をへて日光(日光東照宮)までの二十一次うぃいう。
少し強引な感じはするのだが、日光つながりということで、この歌『次男坊鴉』を栃木のご当地そんぐとする。

ちなみに「新聞からご当地ソングが聴こえてくる」の茨城のご当地そんぐは、
『渡良瀬橋』(平成5年(1993)発売)
作詞:森高 千里、作曲:斎藤 英夫、歌:森高 千里 である。