そして『花笠音頭』(山形県民謡)
「花の山形 紅葉の天童 雪をチョイチョイ ながむる尾花沢 ハァヤッショウマカショ」と歌われる、山形の母なる川、最上川の流れに沿った名所・名物が歌われる「花笠音頭」
日本海側のあつみ温泉に1泊し、日本海東北自動車道から鶴岡を通り、内陸の出羽三山の一つ羽黒山へと向かう。
バスは国道145号線から47号線に入り、途中、鶴ケ岡城跡がある庄内平野を通ってゆく。
鶴ケ岡城は、鎌倉時代初期に武藤氏によって築かれるが、天正11年(1583)に最上氏により滅ばされ、その最上氏も上杉景勝により併合されている。
しかし上杉家は関ケ原の戦いで西軍に加担したことにより、会津120万石から米沢30万石に減封され、山形の最上氏が庄内を治めることになるのだが、天和元年(1622)のお家騒動により、鶴ケ岡城に譜代大名の酒井忠勝が入ることになり、以降明治維新まで庄内藩を統治することになる。
文化2年(1805)庄内藩9代の酒井忠徳が、藩校である「致道管」を設けている。
戊辰戦争では会津藩と共に、奥羽越列藩同盟の中心となり、スナイドル銃など最新兵器を装備し、新政府軍と徹底抗戦をしている。
しかし庄内藩を除く会津藩や米沢藩が降伏し、ついに庄内藩も降伏に至るのだが、最後まで自領に新政府軍の侵入を許さなかったのである。
鶴ケ岡城は廃城となり破却されてしまい、その跡が鶴岡公園となり、致道館博物館、藤沢周平記念館、庄内神社などが建立され、市民の憩いの場所となっている。
さらにバスは庄内平野にそびえる山頂に雪をかぶった「鳥海山」を見ながら、大鳥居を抜け羽黒山へと走る。
鳥海山は、山形県と秋田県にまたがり東北第2の高さを誇る、標高2,236mの活火山で、山頂は山形県となる。
(ちなみに東北第1の山は、福島県会津の南西部にある「燧ヶ岳(ひうちがだけ)」である。)
富士山に似ていることから出羽冨士とも呼ばれるが、山形県では庄内冨士と呼ばれている。
この山の名を付けたものに、日本帝国海軍・重巡洋艦「鳥海」があり、海上自衛隊・護衛艦「ちょうかい」などがあり、列車では上野発~秋田行きの急行に「鳥海」の愛称が付けられている。
羽黒山からは47号線を新庄に向かい、尾花沢を経て「銀山温泉」へと向かう。
47号線を東に走る途中に、「五月雨を集めてはやし最上川」と松尾芭蕉が詠んだ最上川を左に、流れは早くはなかったのだが、今日は風が強く最上川の船下りは中止ではないかと、バスガイドさん。
その最上川に沿って走るのが新庄から余目までの陸羽西線(奥の細道最上川ライン)、随分昔、この線に乗り余目から羽越本線、信濃本線で長野を目指した記憶が蘇った。
今回の旅行までは余目が、一番北に行った場所であった。
ちなみに「新聞からご当地ソングが聴こえてくる」の秋田のご当地そんぐは、
『花笠音頭』(山形県民謡)である。
コメント