ご当地そんぐは、
『ドンパン節』(秋田県民謡)
ドンドンパンパン ドンパンパン ドンドンパンパン ドンパンパン ドドパパドドパパ ドンパンパンで始まる、明るさと調子の良さが持ち味のいかにも秋田の民謡という曲である。
一節に、「自慢コ言うなら負けないぞ 米コ本場で酒本場 秋田の蕗なら日本一 小野の小町の出たところ」とある。
秋田にも「6県10景東北大周遊四日間」のツアーで足を踏み入れる。
山形の銀山温泉から、バスは13号線を北に1時間40分ほど走ると、秋田県湯沢市にある道の駅「おがち」に、遅い昼食休憩で停車する。
始めての秋田入りである。
秋田県の最南端にある、道の駅「おがち」は、小野小町が生まれた地であることから「小町の郷」と呼ばれ、市女笠(いちめがさ)をモチーフとした建物が建っている。
小野小町は、大同4年(809)出羽国福富の荘桐の木田(現在の湯沢市小野字桐木田)で生まれる。
幼い頃から歌や踊り、琴、書道などを上手にこなし、13才の頃に京の都へのぼり、都の風習や教養を身につけ、宮中に任へて容姿の美しさと優れた才能から多くの女官中、比類なしと称されるようになる。
しかし、故郷を恋しく思う気持ちは強く、36才の時に宮中を退き、生まれ故郷の小野の里へと帰り、庵を造って静かに歌を読み暮らしていた。
小町を想う深草少将が、風の便りに小町が出羽の国に居ると聞き、郡代職を願い出て小町の住む小野の里へと赴くのである。
深草少将が小町に恋文を送ると「忘れずの 元の情の千尋なる 深き思ひを 海にたとへむ」との返歌を受け取るのだが、小町は少将に逢おうとはせず、「わたしを心から慕ってくださるなら、川の向こうの高土手に毎日一株づつ芍薬を植えて百株にしていただいたら、あなたの御心にそいましょう」と伝える。
それから少将は、雨の降る日も風の吹く日も毎夜々々一株ずつ芍薬を植え続けるのである。
小町はその姿を「かすみたつ 野をなつかしみ 春駒の 荒れても君が 見え渡るかな」と詠み見送っていた。
そして、いよいよ百株の芍薬が植え終わる百日目の夜、少将は秋雨が降るなかを、百夜通いの誓いを果たすべく百本目の芍薬を持って出かけるのである。
しかし森子川に架かる柴の橋は長雨で緩んでいたこともあり、その夜の雨で流れてしまい、百本目の芍薬を植えることなく、少将は橋もろとも流されて命を亡くすのである。
小町は深く悲しみ森子山に地蔵菩薩を造り、「実植して 九十九本(つくもつくも)の あなうらに 法実(のりみ)歌のみ たへな芍薬」と詠み、少将の菩提を弔ったという。
そして92才で「いつとなく かへさはやなん かりの身の いつつのいろも かはりゆくなり」と辞世の句を詠み、この世を去るのである。
同じような話が、京の隋心院の小町のもとに通い百日目の大雪の日に亡くなるという話がある。
小町の生まれは定かではなく、秋田県や京都の山科、福井越前町、福島県、神奈川県厚木や熊本県など、いずれも小野の地名が付いた所で生まれたというが、そのなかの何処であったのか、今では分かろうはずもない。
また生国とともに墓所も日本の各地にあり、何処で亡くなったのかも定かではなく、こんなところが小町の美しさの不思議をもたらしている理由であろうか。
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