そして『青葉城恋唄』(昭和53年(1978)発売)
作詞:作曲:星間 船一・佐藤 宗幸、歌:さとう 宗幸

仙台には4回足を踏み入れたが、3回目までは青葉城跡に行くことはなかったが、今回「6県10景東北大周遊四日間」のツアーで始めて青葉城跡に足を踏み入れた。
01仙台城跡mid
仙台は「三十五反の帆をまきあげて、ゆくよ仙台・石巻」と歌われた仙台藩の城下町で、伊達氏の居城を中心に発達した町である。
伊達政宗は永禄10年(1567)出羽米沢城で生まれ、17才で家督を継ぎ、度々の戦を経て天正17年(1589)会津の蘆名氏を滅ぼし黒川城(会津若松・114万石)に入城するが、時代は豊臣秀吉の天下となり秀吉はこれを認めず、米沢城(72万石)に戻している。
さらに米沢城から北上川支流の江合川のほとりの岩出山城(52万石)に減俸移転となっている。

02政宗像mid
慶長5年(1600)の「関ケ原の戦い」での論功行賞により、慶長6年(1601)仙台平野の中央、数十丈の断崖が広瀬川にのぞむ地に青葉城を築城する。
それ以来、伊達氏62万石の城下町として繁栄するのである。
現在の仙台市は、東北新幹線の主要駅、東北本線の中継駅、常磐線の起点、山形余目への仙山線、塩釜・石巻への仙石線など、東北の交通の要所となっている。
かつて「杜の都」とうたわれた仙台の面影は、太平洋戦争の空襲でだいぶ失われてしまったが、三方を山にかこまれ、広瀬川のせせらぎに河鹿がなく都として風情を残している。
仙台の七夕祭は、夏の風物詩として全国に知られている。

03護国神社mid
仙台市内の広瀬川にかかった大橋を渡ると、前方に見える小山が青葉城跡である。
青葉城は標高130mの小高い山の上に建てられた城で、バスは山道を頂上に向かって走り、前に鳥居が立つ駐車場に止まる。(鳥居のあるあたりが、青葉城埋門跡である。)
鳥居をくぐっても行けるというが、車が通るのでもう一つ奥の道を通って青葉城跡へと向かう。
青葉城は、慶長6年(1601)に伊達政宗が築城して以来、明治に至る270年の間、伊達氏代々の居城であった。
戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わるも戦火にあうことはなかったが、明治維新を迎え廃藩置県で城の取り壊しがあり、残った大手門や脇櫓なども太平洋戦争の仙台空襲で焼失してしまい、現在は何も残ってはいないのである。
青葉城跡は、戦前は日本陸軍の軍司令部があり、現在は護国神社や東北大学のキャンバス、仙台市管轄の青葉山公園など分割管理をされ、名称も「青葉城跡」と「仙台城跡」と二つの呼称がある。
城跡に立つと、眼下に広瀬川が流れ、その向こうに仙台市内が晴れた日には太平洋までが見えるという。(あいにくこの日は雨模様であった。)

ちなみに「新聞からご当地ソングが聴こえてくる」の岩手のご当地そんぐは、
『青葉城恋唄』(昭和53年(1978)発売)
作詞:作曲:星間 船一・佐藤 宗幸、歌:さとう 宗幸 である。