ご当地そんぐは、
『北上夜曲』(昭和36年(1961)発売)
作詞:菊池 規(のりみ)、作曲:安藤 睦夫、歌:多摩 幸子&和田弘とマヒナスターズ・他共作
青森を素通りして岩手に入る。
この歌は、昭和16年(1941)に作られたもので、岩手県内で歌われていたものが、戦後、歌声喫茶で作者不詳の曲として歌われていたものを、昭和36年にレコード化されたものである。
岩手には新型コロナが一段落し第五類に格下げになるといわれ、また政府が旅行支援するということで、「6県10景東北大周遊四日間」というツアーに参加することにした。
(この話は又の機会に譲こととして、)このツアーで岩手と秋田に初めて足を踏み入れたのである。
先に秋田を通るのだが、これは後ほど・・・
秋田から46号線を田沢湖をずっと遠くに見ながら(実際には見えないのだが)、途中で岩手に入る。
岩手に入ると岩手県の北西部にある岩手山が見え隠れする。
富士山に似ているが、その片方が削れているように見えることから「南部片富士」とも呼ばれ、標高2,038mの岩手県最高峰の山である。
「ふるさとの 山に向ひて 言うことなし ふるさとの山は ありがたきかな」と、この山の麓で育った石川啄木が、岩手山に思いをはせ、故郷を偲び詠んだ歌がある。
盛岡の奥座敷といわれる「つなぎ温泉」で一泊する。
『つなぎ温泉は、平安末期の康正年間(1058~1065)、源義家が安部貞任(さだとう)を攻めた「前九年の役」で、本陣を「湯の館」(現つなぎ温泉南方の山麓)に置いた。
この時、義家は温泉を見つけ愛馬の傷をこの温泉で洗うと傷が癒えたといい、義家も愛馬を繋いで温泉に入ったといい、以来、繋(つなぎ)温泉と呼ばれるようになったという。』
参照【観光協会 つなぎ温泉の歴史】より
「湯守ホテル大観」からは、御所湖を見渡すことが出来、その向こうに乳頭山や岩手山が美恵、小岩井農場まで車で10分ほどで行けるようである。
また御所湖に架かる繋大橋の畔に、岩手県出身の彫刻家・船越保武作の「シオンの像」が立っている。船越氏は田沢湖畔の「たつこ像」の制作者でもある。
十和田湖畔の高村光太郎作の「乙女の像」と「たつこ像」「シオン像」の三像はみちのく三大湖の彫刻と呼ばれている。
北上夜曲に歌われる北上川は、岩手県の中央部を北から南に、岩手町の弓弭(ゆはず)の泉に端を発し、盛岡市、花巻市、北上市、奥州市、一関市を流れ、宮城県石巻市の追波おっぱ)湾に注ぎ、太平洋に流れ込む、全長249Kmの1級河川である。
中尊寺に宮沢賢治の詩碑が建っている。
『七重(じゅう)の舎利の小塔(こたう)に 蓋(がい)なすや緑(りょく)の燐光
大盗は銀のかたびら おろがむとまづ膝だてば 赭(しゃ)のまなこたゞつぶらにて もろの肱映(は)えかゞやけり
手触(たふ)れ得ね舎利の宝塔 大盗は礼(らい)して没(き)ゆる』
出典:【中尊寺 宮沢賢治】より
詩碑の文字は、宮沢賢治自筆のものを、約二十倍に拡大して映したもので、金色堂建立八百五十年を記念し、昭和三十四年にたてられたものである。
岩手といえば、石川啄木と宮沢賢治。
『やはらかに 柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに』(明治43年(1910))
石川啄木:一握の砂に収録
『雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋(おご)ラズ イツモシヅカニワラッテヰル・・・サウイフモノニ ワタシハナリタイ』(昭和6年(1931))
宮沢賢治:雨ニモマケズ
という歌があり、むしろ岩手のご当地そんぐといえば、こちらを思い出す人が多いのではないだろうか。
ちなみに「新聞からご当地ソングが聴こえてくる」の岩手のご当地そんぐは、
『北国の春』(昭和52年(1977)発売)
作詞:いで はく、作曲:遠藤 実、歌:千 昌夫 である。
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