伏見深草の地は、戦前には日本陸軍第16師団の衛戍地だった所である。ここには、この16師団に関わるものが残っているのである。

01聖母(1)mid
京阪電車「藤森」の駅から、名神高速の下を通り北に歩くとすぐに、聖母女学院の建物が見えてくる。
聖母女学院は、大正12年(1923)に七人の外国人修道女によって開校され、戦後になってこの深草にもキャンパスが出来、幼稚園から短大までを併せもつ、私立の学校である。
その聖母女学院の本館が、旧日本陸軍の第16師団司令部だった建物で、今も現役の校舎として使われているのである。
16師団は京都を編成地とし、創設は明治38年(1850)7月で、日露戦争で既存の師団を全て満州につぎ込んでしまい、日本国内には師団の手持ちが無くなってしまい、急遽創られた師団である。

02聖母(2)mid
昭和12年(1937)に日中戦争が始まると、華北に派遣され、その後、上海事変に転戦し、そしてかの南京大虐殺の疑惑がある南京攻略戦に参戦をしている。この時の主力が16師団の第9連隊(京都)なのである。
太平洋戦争では、緒戦でフィリピンのマニラ戦線に投入され、昭和19年(1944)に戦局が悪化するなか、レイテ島に移り捷一号作戦に呼応してレイテ島で奮戦するも、この地で所属の連隊は玉砕をし16師団は壊滅をする。
13,000名のうち生きて帰ったものは僅か620名だったと云う。連隊長の殆どが戦死をし、師団長の牧野中将も昭和20年8月10日に自決をするのである。

03師団橋mid
16師団司令部から北に、カトリック伏見教会の前の信号を西に行くと、疎水に架かる「師団橋」がある。この道路を第二軍道と呼ぶ。
疎水の西側を通る、師団街道から師団司令部へと続く道で、疎水を越えるために、この橋が架けられた。
信号を右に行くと聖母女学院、旧日本陸軍の16師団司令部である。
師団橋の西詰に、師団橋と刻まれた石柱が建つ。

04京阪mid
師団橋から見た北側で、左側に鉄柱が並んでいるのが、京阪電車の本線(大阪と京都をむすぶ)である。上が京都方面となる。

05名神mid
こちらが南側、そのむこうに名神高速が見えているが、その下の疎水右側辺りが、京阪電車の藤森駅である。師団司令部は、藤森駅とこの師団橋の間、疎水の左側に建っている。

聖母女学院(京都市伏見区深草田谷町1)
京都駅から、
▼JR奈良線で『東福寺』乗換(所要3分)、京阪電車本線で『藤森』下車(所要7分)
「藤森」から、徒歩4分


令和5年(2023)6月16日から始めた「京都検定をめぐる」も210回を数え、1年半の連載となった。
ここらで少し雰囲気を変えて京都から離れ、次回から、自分が訪ねた日本各地の「ご当地そんぐ」について、独断と偏見をもって描いてみたいと思います。