哲学の道から東の山側にひとつ入った法然院通を、銀閣寺から南に6分ほど歩くと法然院がある。

01石碑mid
「円光大師御旧跡」との石碑が建つ。
ここからが法然院の参道となる。
円光大師とは聞き慣れない名だが、実は法然上人の勅旨によって付けられた号である。
だから、ここが法然上人の旧跡なのである。

02山門mid
「不許葷辛酒肉入山門」の石碑が建つ、法然院の山門である。
法然院といえば、この山門の景色が有名で、この山門を見ると法然院が浮かぶ。
門前に建つのが「不許葷辛酒肉入山門」と刻まれた石碑。
「くんしんしゅにく、山門を入るを許さず」と読む。
臭いの強いものや辛いもの、そして酒や肉などを持ち込むことまかりならぬで、とても自分などはこんな修行はできっこないのである。
その山門を中に入ると、あっと云う景色に出会う。両側に盛砂という、左右形の違う砂絵が目に入る。

03盛砂(1)mid

04盛砂(2)mid 05盛砂(3)mid
この盛砂は白砂壇(びゃくさだん)と呼ばれるもので、この上には水を表す紋様が描かれており、この間を通ることで心身が清められ、心健やかにお参りが出来るという。
季節ごとに描かれる紋様が変わるのだという。

06本堂mid
法然上人の旧跡で、延宝8年(1680)に知恩院第38代住持の玄誉萬無が開いた寺で、不許葷辛酒肉入山門の石碑と清浄な寺域は、禅寺の風格を思わせる。
方丈に狩野光信の襖絵があり、前庭の池には善気水と呼ばれる湧き水があり、山号もこれによる。
駒札には、
『善気山萬無教寺と号する浄土宗系の単立て寺院である。
鎌倉時代の初め、法然上人が弟子の住連、安楽とともに阿弥陀仏を昼夜に六回拝む、六時礼讃(らいさん)を勤めた草庵で、寛永年間(1624~44)ほとんど廃絶していたが、延宝8年(1680)に知恩院の第38世萬無心阿(ばんぶしんあ)上人と弟子の忍澂(にんちょう)和尚が念仏道場として再興した。
本堂には恵心僧都の阿弥陀如来坐像と法然上人自作木像を安置し、直壇には毎朝二十五の生花が散華される。
方丈は、桃山御殿の遺構を移築したものといわれ、襖絵十四面の「桐に竹図」「若松図」「槇に海裳図」及び屏風の「雪松図」は、いずれも重要文化財に指定されている。
参道に散る椿が名景として知られており、境内には、谷崎潤一郎、九鬼周造、河上肇ら多くの文化人の墓がある。
                           出典:【法然院の駒札】より

法然院(京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30番地)
京都駅から、
▼「A1」乗り場から、5系統で『浄土寺』下車(所要39~40分)、
「浄土寺」「錦林車庫前」から、山に向かい徒歩10分