4系統のバスに乗り終点の「上賀茂神社前」で降り東に10分ほど歩くと、「かきつばた」で有名な大田神社がある。
大田神社は上賀茂神社の摂社で、祭神に天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀る。
古くは恩多社と呼ばれ「延喜式」にも載っている古社で、この地域の沼沢地を開墾した賀茂氏の崇敬を受けた神社である。
もう少し大きい神社かと思ったのだが、意外と小さい神社で、杜若の咲く頃の賑わいが嘘のように、ひっそりとした境内であった。
祭神である「天鈿女命」は芸能の神といわれ古くから芸事上達の信仰を集めている。
そのいわれは、「記紀」のなかで、「須佐之男命」(すさのをのみこと)の数々の悪行に怒り、「天照大神」(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れて世の中が真っ暗になった時・・・
八百万の神が天の安河原に集って相談をし、天の岩戸の前で「天鈿女」(あめのうずめ)が桶の上にのり、背をそり胸乳をみせ、裳の紐を股に押し垂れ、女陰もあらわに踊り・・・
それを見た神々の哄笑に誘われて、「天照大神」が覗き見した所を「天手力男命」(あめのたぢからお)に引き出され、世の中に再び光が戻ったというのに因む。
駒札には、
『古くは恩多社(おんたしゃ)と呼ばれたこともあり、上賀茂神社の攝社である。
祭神には天鈿女命(あめのうずめみこと)と猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀っており、延喜(えんぎ)式にも載せられている古社で、この付近の沼沢池を開墾して栄えた賀茂氏の崇敬をうけた神社である。
右方東側の沢地を「大田の沢」といい、野生のかきつばたが美しい。
藤原俊成(しゅんぜい)卿、文治6年(1190)の五社百首にに「神山や 大田の沢の かきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ」と詠われ、平安時代からこの付近の沢地には、かきつばたが咲きみだれて、名勝となっていたようである。
今日でも5月中旬頃には、濃紫、鮮紫の花が美しく咲く。
このかきつばたの群落は、国の天然記念物に指定されている。
例祭は4月10日と11月10日である。』
出典:【大田神社の駒札】より
神社の右方東側の池を「大田の沢」と呼び、5月中旬に濃紫の花をつける野生の杜若(かきつばた)が咲き乱れる。
藤原俊成が、「神山や 大田の沢のかきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ」と、文治6年(1190)の五社百首に詠んでいる。
平安時代からこの付近の沢池は、杜若の名勝地となっていたようである。
大田の沢は、雲ケ畑の池と底でつながっており、水が枯れたことがないと云われ、またこの杜若の池に手を入れると手が腐るといい、人が花を持ち去るのを戒めていたと云う。
訪ねたときは6月の中旬で、杜若の濃紫のあでやかな花は終り、緑の茎が池に伸びていて、いつも通りの静けさを保っていた。
『「神山や 大田の沢のかきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ」
上賀茂神社の御降臨山である神山の近くに在る大田神社のかきつばたに(人々が)よくよくお願いする恋事(いろ)は、)の花の色のようになんと一途(一色)で美しく可憐なのだろうか
と歌われているように、すでに平安時代には名高い花として知られておりました。
この池の広さは約2000平方メートルで、かきつばたは5月上旬より紫一色の花を咲き始め下旬まで、沢一面に咲きます。
その姿は、実に幽玄可憐で見にくる人々を魅了します。
このかきつばたは古代から咲き続けた花として又、深泥ケ池同様古代京都がまだ湖であった頃の面影を残す泥炭地の一つとして昭和14年に、国の天然記念物に指定されております。(中略)
大田ノ沢には古くからの言い伝えがあり、雲ケ畑の池と底でつながっており、水が枯れたことがないと言われておりましたが、旱魃のときは沢の水が枯れ、井戸水や水道水により旱魃から守ってきました。
又ここのかきつばたは「池に手を入れると手が腐る」と言い、人が花を持ち去るのを戒めてまいりました。(中略)
このように大田ノ沢はのかきつばたは、遠い遠い昔より多くの人々に愛でられた美しい花でした。
これから後も変わる事なく愛でられる花として皆様の御協力のもと守っていかなければならないと思っています。』
出典:【大田ノ沢のかきつばた】より
大田神社(京都市北区上賀茂本山340)
京都駅から
▼「A2」乗り場から、4系統で『上賀茂神社前』下車(所要52分)、
「上賀茂神社前」から、東に徒歩10分
コメント