野宮(ののみや)神社は、伊勢神宮の斎宮に選ばれた内親王が、潔斎の為に籠もった清浄な野の宮跡である。
境内には黒木の鳥居や子柴垣が立ち、源氏物語に描かれた往時を偲ばせる。
ここが嵯峨野めぐりの入口である。
平安時代、斎宮に任じられると、一年間、宮中の初斎院にて身を清めその後、浄野に造られた仮宮(野宮)にまた一年間、潔斎のために籠もるのである。
野宮は嵯峨野の一帯に設けられ、天皇一代ごとに造替された。
南北朝(14世紀後半)の戦乱で斎王制度は廃止されるが、後世に神社として残ったのが、野宮神社である。
源氏物語の舞台にもなり、謡曲「野宮」にも歌われ、境内には黒木の鳥居や小柴垣が立ち往時をしのばせる。
野宮神社は三つの祠があり、中央に天照大神を、右に愛宕大神、左に弁才天神を祀っている。
野宮神社の駒札によると、
『伊勢の神宮に奉仕する内親王が潔斎のため居住された跡で、今三つの祠があり、中央に天照大神を祀り、左右に愛宕、松尾の神を祀っている。
歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せしめられ、これを斎宮(さいぐう)といった。
斎宮に立たれる内親王は、まず皇居内の初斎院で1年余り潔斎されてからこの野宮に移り、3年間の潔斎の後、初めて伊勢に向かわれたが、その時の行列を斎王群行といった。
斎宮は垂仁天皇の時に皇女倭(やまと)姫命をして奉仕せしめられたのが始まりで、その後北朝時代(14世紀後半)に廃絶した。
野宮は源氏物語にも現れ、謡曲、和歌などに謡われているが、黒木の鳥居や小柴垣は昔のままの遺風を伝えるものである。』
出典:【野宮神社の駒札】より
「源氏物語ゆかりの地」説明板には、
『平安時代の斎宮が伊勢下向に備えて潔斎生活をした野宮の一つ。
斎宮に任命されると、一年間、宮中の初斎院に入って身を清め、そのあと浄野に造られた仮宮(野宮)で一年間ほど潔斎生活をする。
平安時代の野宮は主として嵯峨野一帯に設けられ、建物は天皇一代ごとに作り替えた。
南北朝の戦乱で斎王制度は廃絶したが、神社として後世に残された野宮神社には黒木(皮のついた丸木)の鳥居と小柴垣が再現されている。
斎宮となった六条御息所の娘(後の秋好中宮)が一年間、野宮で潔斎生活を送り、いよいよ伊勢に下向するという直前に、光源氏が六条御息所を野宮に訪ねる場面が「源氏物語」「賢木」にみえる。
そこは小柴垣を外囲いにし、仮普請の板屋が建ち並んで、黒木の鳥居とある。
出典:【野宮(野宮神社)】より
とあり・・・
野宮は源氏物語の10帖「賢木の巻」に現れており、斎宮となった六条御息所が伊勢に下向する直前に、光源氏が野宮に訪ねるという下りである。
『遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。
秋の花、みな衰へつつ、浅茅が原も枯れ枯れなる虫の音に、松風、すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。
ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋どもあたりあたり、いとかりそめなり。
黒木の鳥居ども、さすがに神々しう見わたされて、わづらはしきけしきなるに、神司の者ども、ここかしこにうちしはぶきて、おのがどち、物うち言ひたるけはひなども、他にはさま変はりて見ゆ。』
(広い野辺に踏み入ると、いかにも物寂しい思いがする。
秋の花も萎れかかり、浅茅が原に鳴く虫の音も途絶え、松風も梢に吹き荒れて、風と琴の音が聞き分けられないくらいに、楽の音が切れ切れに聞こえて来るのが、まことに艶めかしく聞こえる。
ちょっとした小柴の垣根を外囲いにして、板葺きの家があちこちに仮普請のように建っている。
黒木の鳥居は神々しいて、見るのも遠慮され、神官らが、あちこちで咳払いをして、互いに話をしている様子も、他所とは違うように見える。)
野宮神社の鳥居は「黒木鳥居」といい、樹皮のついたままの鳥居で、形式としては原始的日本最古のものと云う。
『黒木鳥居とは樹皮のついたままの鳥居のことで、鳥居の形式としては極めて原始的に本最古のものであります。
当社は従来より鳥居の用材に「くぬき」を使用して三年毎に建替をしてきましたが、近時鳥居に適する「くぬき」が入手困難となって参りました。
そこでなんとか昔の面影を残したいと考えておりました処、幸いにも香川県高松市の日本興業株式会社より自然木の鳥居の寄進をうけ、このたび建立の運びとなりました。
この「くぬき」は会社が徳島県剣山(1955m)の山麓より切り出し防腐加工を施し、奉製をされたものです。
また鳥居両袖の小柴垣は「くろもじ」を用い、源氏物語を始め謡曲、和歌、俳句などにも表された黒木の鳥居と小柴垣の遺風を残したものであります。』
出典:【日本一 黒木鳥居】より
謡曲に歌われた「野宮」は、
『晩秋のある日、旅僧が野々宮のやって来ると、一人の艶(なまめ)かしい女が現れ昔を語る。
六条御息所が光源氏との愛に破れ、伊勢の斎宮になる娘と野々宮にこもったとき、光源治はここまで会いに来た。
「今日はその記念の日なので、私はそれを忘れかねて、さ迷い出た御息所の幽霊である」といって黒木の鳥居の陰に消える。
やがて御息所の亡霊が現れ、賀茂の祭で葵上と車争いで屈辱を受けたことや、光源氏が会いに来たことなどを懐かしんで舞を舞い成仏していく。
このように謡曲「野宮」は、源氏物語から取材した曲で、神社境内には、ゆかりの黒木の鳥居や小柴垣などがある。』
出典:【謡曲「野宮」と野宮神社駒札】より
野宮神社(京都市右京区嵯峨野々宮町1)
京都駅から
▼「C6」乗り場から、28系統で『野々宮』下車(所要52分)、
「野々宮」から、徒歩4分
▼JR山陰線で『嵯峨嵐山』下車
「嵯峨嵐山」から西に、徒歩10分
▼四条大宮から嵐電で『嵐山』下車
「嵐山」から、徒歩1分
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