嵯峨鳥居本は、嵯峨野の西北、愛宕山の麓に位置し、愛宕街道沿いに八体地蔵の並ぶ三叉路から、愛宕神社一之鳥居にかけての長さ650mの通りである。
古くは化野と呼ばれ、葬送の地であったが、現在の町並みは愛宕神社の門前町として発展したものである。

01地蔵菩薩mid
八体地蔵のある三叉路を西北に歩くとすぐに、瓦葺の虫小窓や京格子のある町家風の民家が並ぶ、下地区となる。
下地区は都市的景観(町家風)が続き、緩やかな登りとなって、化野念仏寺を越え、将軍地蔵大菩薩のある辺りまで、町家風の民家が続いている。
「将軍地蔵大菩薩」は、もともとこの辺りが葬送の地であったことから、他界への旅立ちの場である葬送の地に多く建てられた六地蔵の信仰と、道祖神の信仰とが結びつき、町の守護神として建てられたと云われる。
また道祖神のことをシャグジともいい、シャグジに将軍の字を当て、道祖神と合わさった地蔵を将軍地蔵と呼ぶようになったと云われる。

02保存館mid 03平野屋mid
地蔵菩薩の前に鳥居本の歴史を伝える「鳥居本町並み保存館」がある。
明治時代に建てられた民家を整備し、古きよき京都が無料で見学出来るようになっている。
将軍地蔵大菩薩をすぎ、愛宕神社一之鳥居までの上地区には、藁葺きの農家風の家が多くなる。
平野屋の居宅を鞍馬街道の「二軒茶屋」を解体し、その古材で改築された平野屋次郎坊、そして平野屋仏翁庵など平野屋は約400年前の時代から、愛宕神社一之鳥居の茶屋として営まれている。
農家風の藁葺き屋根の家。上地区は農村的景観(農家風)を残す地区であり、下地区の都市的景観(町家風)とが共存し、奥嵯峨の美しい自然に溶け込んで趣きのある佇まいとなっている。
そうこうしているうちに、愛宕神社一之鳥居が見えてくる。

04一之鳥居(1)mid
嵯峨鳥居本は、大宝年間(701~704)に役小角と泰澄によって朝日峰に祠が祀られ、天応元年(781)に慶俊僧都、和気清麻呂によって、愛宕山に愛宕神社の始めとなる白雲寺が建立される。
平安時代の弘仁2年(811)に、愛宕山山麓に一之鳥居が建てられ嵯峨鳥居本として開拓をされ、江戸時代に愛宕詣での門前町として栄えることとなり、現在に至っている。

05一之鳥居(2)mid
嵯峨鳥居本の風景といえば、愛宕神社の一之鳥居であり、京を代表する風景の一つに数えられる。
鳥居のもとには、「つたや」や「平野屋」など時代劇の茶店を思わせる、アユ料理で有名な料理屋が並ぶ。
平野屋は、愛宕山にある愛宕(あたご)神社への参詣者の為に、400年もの昔から愛宕神社一之鳥居のそばにあり、ここで一息入れて愛宕神社に詣でたという。
鳥居のある場所は三叉路で、左に行くと、ユズで知られる水尾の里に、鳥居をくぐると上り坂となり、愛宕(おたぎ)念仏寺へと続く。

06念仏寺元地min
一之鳥居をくぐり、上りの勾配が少し急になった坂を登ると、清滝トンネルの手前に「愛宕(おたぎ)念仏寺」がある。
ここまで来ると、さすがに人は少なく嵯峨野の最も西に来たことが実感できる。
この寺の起源は、奈良時代末期(764~770)に稱徳天皇により、愛宕郡の地に建立された愛宕寺(おたぎてら)に始まるという。
この地は、現在の東山区松原通大和大路東入にあたり、今は「愛宕念仏寺元地」と刻まれた小さな石碑を残すのみとなっている。
この愛宕の地は鴨川がよく氾濫し、平安時代の始めには堂宇が流され廃寺同然となってしまったのを、醍醐天皇の命により比叡山の僧・阿闍梨伝燈大法師千観内供により復興され、千観がいつも念仏を唱えていたところから、愛宕念仏寺と呼ばれるようになったと云う。
その後、興廃を繰り返し、最後は本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなった。大正11年(1922)堂宇保存の為に、嵯峨のこの地に移された。

07境内mid
時は流れて大正11年(1922)に、残った堂宇を現在の地に移して復興を目指すが至らず荒れるにまかされたが、昭和30年(1955)に天台宗本山から、西村公朝住職を迎え復興に取り掛かり、本堂、地蔵堂、仁王門などを整備し、昭和56年(1981)から、素人が彫って奉納する「昭和の羅漢彫り」を始め、五百体が目標だったが、10年後には千二百体に達し、一体一体のお顔が違い、笑っているようなもの、やすまし顔のもの、はにかんだものなどとそれぞれ違った表情を見せている。

08愛宕念仏寺mid
愛宕念仏寺の駒札によれば、
『寺伝によれば、奈良時代の764年から770年頃、称徳天皇により、東山区松原通大和大路東入(旧愛宕郡)の地に建立された愛宕寺に始まる。
平安時代の初め、鴨川の洪水により堂宇が流失したため、比叡山の僧・阿闍梨伝燈大法師千観内供によって中興され、等覚山愛宕院と号する天台宗延暦寺の末寺となった。大正11年(1922)、本堂の保存のためにこの地に移築された。
境内には、参拝者によって彫られた千二百体に及ぶ羅漢の石像が表情豊かに建ち並び、和やかな雰囲気を漂わせている。
本堂(重要文化財)は、方五間、単層入母屋造で、度々移建され、補修を加えられているが、鎌倉時代中期の和様建築の代表的遺構である。堂内には、本尊の千手観音像が祀られている。
また、地蔵堂には、火之要慎のお札で知られる火除地蔵菩薩坐像が安置されている。これは、火伏せの神として信仰されている愛宕山(あたごさん)の本地仏が地蔵菩薩であることに由来するとされる。』
                         出典:【愛宕念仏寺の駒札】より

愛宕神社一之鳥居(京都市右京区嵯峨鳥居本仙翁町16)
京都駅から
▼「C6」乗り場から、28系統で『小渕町』乗換(所要52分)、
京都バスで『鳥居本』下車(所要8分)
「鳥居本」から、徒歩5分