東本願寺のある烏丸通を東に一つ入った通りに渉成園がある。
慶長7年(1602)、真宗大谷派十二代の教如上人が徳川家康から寺地を寄進され、東本願寺を設立する。
その後、三代将軍家光から東本願寺の東側に土地の寄進を受けた十三代宣如上人が、承応2年(1653)に隠遁し、そこに隠居所を造営し、中国の詩人、陶淵明の「園日渉而以成趣」から採って「渉成園」と名付けた。
渉成園は、枳殻(からたち)の生垣を植えたことによって、枳穀邸(きこくてい)とも呼ばれるようになる。
もっと古くは、源氏物語の光のモデルと云われる、源融が造った、河原院の一角とも云われ、源氏物語千年を偲ぶ面影を残している。
建物の多くは幕末の蛤御門の変によって焼失した後の再建になるものである。
庭園は池泉回遊式庭園で、詩仙堂を開いた石川丈山の作庭になると云われる。
駒札には、
『東本願寺の別邸で、周辺に植えられた枳殻(からたち)の生垣にちなんで枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれる。
寛永18年(1641)、この地を徳川家光から寄進を受けた本願寺宣如上人が、承応2年(1653)、石川丈山らとともに庭園を築き、別邸としたところである。
もとは、鴨川に達する広大なものであったが、現在でも200メートル四方の大きな庭園である。
この地は、平安時代の初め、左大臣源融が奥州塩釜の風景を模して作った河原院の跡に近く、作庭に際し、印月池(いんげつち)と呼ばれる広い池を中心に、池には島を浮かべて石橋や土橋で結び、周囲には樹木を茂らせ、源融をしのぶ名所も作られて、平安朝の面影を再現している。
園内には、楼門傍花閣(ぼうかかく)、書院ろう風亭(ろうふうてい)、滴翠軒(てきすいけん)、臨池亭(りんちてい)、茶席漱沈居(そうちんきょ)、縮遠亭、持仏堂の園林堂(おんりんどう)、橋廊の回棹廊(かいとうろう)などいずれも蛤御門の変による大火後の再建であるが、庭園によく似合った建物が配されている。』
出典:【渉成園(枳殻邸)の駒札】より
渉成園(京都市下京区下珠数屋町通間之町東入東玉水町)
京都駅から
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