京都駅から西に歩き、油小路から一つ西に入った近鉄電車の線路に沿った路地の角に、西福寺という小さなお寺があるのだが、この場所に弘法大師が創建したという「綜芸種智院」という私学があった。

01綜芸種智院mid
綜芸種智院は、天長5年(828)空海(弘法大師)により創建されたもので、平安初期の私立学校であった。
当時の大学・国学(国立学校)への入学は厳格な身分制度があり、一般民衆が学問を志すことは難しかったが、同院はこういった人々のために創設されたのである。
用地は藤原三守(ただもり)が九条邸を提供し、これを充てた。
ここでは、内典(仏書)、外典(儒書)の講義を行い、種智(仏道、真理を究めようとする心)への到達を図った。
当時としては画期的な理想の下に創建された同院であったが、承和2年(835)に空海が没すると、以降あとを継ぐものもなく廃絶してしまった。
西福寺には、綜芸種智院跡を示す石碑が建っているが、所在地はここよりも南東の九条弘道小学校附近だといわれている。

02駒札mid
駒札には、
『綜芸種智院は、「空海(弘法大師)」が天長5年(828)に創設したもので、平安初期の私立学校として注目される。
当時の大学・国学(国立学校)への入学については厳格な身分制限があり、一般民衆が学問を志すことは非常に困難であったが、同院はこういった人々のために設置されたものである。
用地は、藤原三守(ただもり)が九条邸を提供し、これを充てた。
同院では、内典(仏書)・外典(儒書)の講義を行い、種智(仏道・真理を究めようとする心)への到達を図った。
その制規は、空海自筆の「綜芸種智院式」で知られる。
このように、当時としては画期的な理想の下に創建された同院であったが、承和2年(835)に空海が62歳で没して以後、後継者を得ず、廃絶した。
なお、現在の私立種智院大学(京都市伏見区)は、同院の伝統を継いで設立されたものといわれている。』
                        出典:【綜芸種智院跡の駒札】より

03西福寺mid
綜芸種智院と併せ西福寺が建てられる。
そのご本尊が弘法大師御自作の「安産石薬師如来」であるという。
西福寺は浄土宗の寺で、天長5年(828)空海により草創と伝えられる。
西福寺の前の小路を南に下がると、近鉄の東寺駅が見えてくる。

04東寺mid
京都駅のある八条通から南に一条下がると九条通になるが、そこに近鉄の東寺駅がある。
東寺を訪ねるには、京都駅から近鉄京都線に乗り、一駅の東寺駅で降りるのが早い。
特急以外の総ての電車はこの駅に停まる。改札は1階で、ホームは2階の高架駅である。
近鉄電車は京都駅を出ると、八条油小路で左に大きくカーブし南に向うが、少しするとその車窓から東寺の五重塔が目に入ってくると、東寺の駅はすぐである。

綜芸種智院跡(西福寺:京都市南区西九条池ノ内町(西福寺前))
京都駅から
▼近鉄京都線で、『東寺』下車(所要2分)
「東寺」から西堀川通を北に、徒歩5分