京都駅から50または205系統のバスに乗り「衣笠校前」で降りると、京でも桜が早く咲く平野神社がある。

01平野神社(1)mid
平野神社は延暦年間に、大和国から今の地に移された。
現在の社殿は寛永年間(1624~1643)に再建されたもので、第一殿から第四殿と、摂社県社(あがたのやしろ)の五棟が並んで建ち、平野造(比翼春日造)といって良く知られている。
境内には桜が多く植えられ、珍種が多く、昔から平野の夜桜として知られ、毎年4月10日には桜花会が開かれ、毎年多くの花見客で賑わう。

02平野神社(2)mid
駒札には、
『平安遷都に伴って、奈良の平城京からこの地に移された神社で、祭神として、今木神(いまきのかみ)、久度神(くどのかみ)、古開神(ふるあきのかみ)、比賣神(ひめのかみ)の四柱を祀っている。
平安時代中期には、伊勢、賀茂(上賀茂・下鴨)、石清水、松尾に次ぐ名社に数えられた。
桜の名所として名高く、古くから各公家伝来の桜が奉納されたことから、境内には約五十種、約四百本の桜が植えられており、「平野の夜桜」として親しまれている。
早咲きの品種は3月中旬、遅咲きの品種は4月20日ごろに咲くといわれ、約1箇月間花見ができる。
歴代の朝廷に大変厚く崇敬され、律令の施行細目を定める「延喜式」で皇太子御視察とされたほか、源氏や平氏をはじめ諸氏の氏神としても崇(あが)められた。
本殿(重要文化財)は、寛永年間(1624~1644)に建築されたもので、春日造の四殿を並べ、二殿ずつが「合の間」で連結されており、「平野造」又は「比翼春日造(ひよくかすがづくり)」と呼ばれている。
南門は、慶安4年(1651)に御所の旧門を下賜されてもので、昭和18年(1943)に現在の大鳥居の位置から移築された。
寛和(かんな)元年(985)4月10日に花山天皇が桜をお手植えされたことにちなみ、毎年4月10日には桜祭が行われ、多くの人でにぎわう。』
                          出典:【平野神社の駒札】より

03手水mid
平野神社にも名水が湧き、東門を潜ると左側に手水舎があるのだが、この水は地下100mから汲み上げられた「御神水」で、飲用にも適し、手水舎の後ろには蛇口があり、誰でも御神水を汲むことが出来るのである。
『水を汲みに来られる方へ ~井戸水は神様からの恵です~
・自転車の乗入れは鳥居までとさせていただきます。
・限りある大切な井戸水です。一度の汲み量は、節度をもってお願いします。』
とあり、今もなお、こんこんと清水が湧き出ているのである。

平野神社(京都市北区平野宮本町1番地)
京都駅から
▼「B2」乗り場から50系統、または「B3」乗り場から205系統で、『衣笠校前』下車(所要37分)
「衣笠校前」から、すぐ