哲学の道は、若王子神社前の若王子橋から北に、琵琶湖疎水分線に沿って、銀閣寺西の白川に架かる銀閣寺橋までの2Kmの小径である。
20世紀の初め、京都大学教授の哲学者・西田幾太郎(にしだきたろう)が、この道を散歩しながら思索に耽っていたことから名付けられたものである。

01哲学の道(1)mid 02哲学の道(2)mid
若王子橋から大豊神社参道までは琵琶湖疏水分線に沿って歩き、春は桜、夏は緑、秋は紅葉、冬は雪と四季折々の景色を映しだす自然の美しい小径として知られ、疎水の流れる音、砂利を踏み歩く音を聴き、移りゆく季節を感じながら歩いてみるのも癒しの時を与えてくれる小径である。
疎水の道に沿って日本画家・橋本関雪が寄贈した桜が並んでおり、桜の名所としても有名である。
哲学の道には、熊野若王子神社や光雲寺、大豊神社、霊鑑寺、安楽寺、法然院、銀閣寺などがあり、法然院の近くに、西田幾多郎が詠んだ「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」の石碑が建っている。

03関雪桜mid
哲学の道の桜は、大成した日本画家・橋本関雪と妻のよねが、快く迎えいれてくれたお礼として、大正10年(1921)に疎水べりに300本の苗木を寄贈したことに始まる。
現在の桜並木は、当初のものは少なく佐野藤右衛門らによって植え替えられたものなのだが、その桜は「関雪桜」と呼ばれ春には美しい華を咲かすのである。
白沙村荘前の哲学の道には「関雪桜詩碑」が建っていて、
「朶雲壓水一渠斜 春伴潺湲巡我家  幽人悩殺残夜夢  風々雨々不離花」と刻まれている。
朶雲(だうん:たれる雲(満開の桜)・一渠(いっきょ:人工の水路(疎水)
潺湲(せんかん:さらさらと水の流れるさま)
悩殺(のうさつ:非常に悩ますこと)
たれた雲のような満開の桜が疎水の水辺を覆う春になると、水の流れに伴って桜のはなびらが我が家(白沙村荘)に巡り来ると、 幽人(私:橋本関雪)は残夜夢(妻の思い出)に悩殺され、風の日も雨の日も花(妻:よね)のことを忘れられずにいる。

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橋本関雪は明治16年(1883)神戸市に生まれる。
20才のときに竹内栖鳳(京都画壇を代表する画か・第1回文化勲章受賞)に師事し、頭角を表す。
東京画壇で活躍の後、30才で京都に移り岡﨑や南禅寺に住んでいたが、大正5年(1916)に銀閣寺近くに白沙村荘を増築造り、61才で亡くなるまでここに住むことになる。
中国の古典風物や写実的な動物を描いたり、新南画と呼ばれる作風を確率し、大正・昭和期の画壇における中心的人物の一人である。
「銀閣寺道」のバス停からすぐにあるのが「白沙村荘 橋本関雪記念館」。
白沙村荘は、関雪が官展(日展)に出品する作品を描くために、大正5年年から30年間にわたって自ら設計をし、造営した邸宅で、主家(おもや)の他に、存古楼と名付けられた大画室、や茶室、四阿(あずまや)、持仏堂などがあり、大文字山(如意ガ岳)を借景とした3,500坪の池泉回遊式の庭園には、平安・鎌倉から桃山時代の石仏や石灯籠などの石造美術が配置されている。
この白沙村荘を利用して開設されたのが「白沙村荘 橋本関雪記念館」で、関雪の作品・資料・収集品を展示公開し、展望テラスを備えた2階では、現代作家の企画展が随時開催されている。

白沙村荘 橋本関雪記念館(京都市左京区浄土寺石橋町37)
京都駅から
▼「A1」乗り場から5系統または、「A2」乗り場から7系統で『銀閣寺道』下車(所要36~29分)
「銀閣寺道」から、すぐ