地下鉄烏丸線の「鞍馬口」で降り、賀茂川に向かって東に6分ほどにあるのが「天寧寺」である。
天寧寺は、寺町通でも数少ない宗派である曹洞宗寺院で、天正年間に会津城下から移ったという。
山号を萬松山(ばんしょうざん)といい、本尊は釈迦如来である。
天明の大火で堂宇を焼失するが、文化9年(1812)に本堂が、天保14年(1842)に書院が再建された。
駒札によれば、
『山号は萬松山と号し、曹洞宗に属する。
当寺は、もと会津(福島県)城下にあったが、天正年間(1573~1592)に、天台宗松陰坊の遺跡といわれるこの地に移転されたと伝えられている。
その後、天明の大火により堂宇を焼失したが、本堂は文化9年(1812)に、書院は天保14年(1842)に再建された。
本堂には、仏師春日作と伝える本尊・釈迦如来像を、観音堂には後水尾天皇の念持仏・聖観音像、及び、東福門院の念持仏・薬師如来像を安置している。
境内墓地には、江戸時代の茶人として有名な金森宗和、剣道示現流の開祖といわれる、善吉(ぜんきつ)和尚らの墓がある。
また、山門を通して眺める比叡の秀峰は、あたかも額縁に入れたように見えるところから、山門は「額縁門」と呼ばれて親しまれている。』
出典:【天寧寺の駒札】より
天寧寺の山門を通して見えるのは、比叡山の山々である。
この門を額に見立てて、その中に比叡の山々を取り入れて、四季の風景を写し込むという。
このことから、この門を「額縁門」と呼び、新緑から雪景色までの季節の移ろいを門の中に映し出しているのである。
天寧寺には天然記念物のカヤがあり、駒札には、
『カヤは山林に散生する常緑高木です。
境内や沿道に植栽されることも多く、ヨーロッパでも公園や庭園によく配植されます。
材は碁盤に使われることで知られます。
このカヤは樹高16.2メートル、胸高の周囲は4.78メートルあります。
頂部には落雷のあとが、また幹の本堂側には天明8年(1788)の本堂火災時に受けたと思われる傷跡がみられます。
市内有数のカヤの大木として、昭和61年5月1日、京都市登録天然記念物とされました。』
出典:【天寧寺のカヤの駒札】より
また境内には、明智光秀報恩塔なる石碑が建っている。
この塔は天寧寺本堂修理の際に、須弥檀の天井裏から光秀の位牌が見つかったことに由来するというが、光秀と天寧寺との関わりが今ひとつ繋がらなく、何故ここで光秀の位牌が見つかったのかは、謎のまま時が過ぎている。
光秀の辞世は、「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」で、
順逆無二門(順逆二門無し)/大道徹心源(大道心源に徹す)/五十五年夢(五十五年の夢)/覚来帰一元(覚め来れば一元に帰す)
光秀らしく漢詩で綴り、亡くなる時までその教養の高さを滲ませている。
天寧寺(京都市北区寺町通鞍馬口下る天寧寺門前町301)
京都駅から
▼地下鉄烏丸線で『鞍馬口』下車(所要11分)
「鞍馬口」から東に、徒歩6分
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