四条通の祇園という賑やかな通りの南座のならびを東に100mほど歩くと、隠れるようにしてあるのが、通称「目疾地蔵」と呼ばれる「仲源寺」がある。

01仲源寺mid
仲源寺は、治安2年(1022)仏師の定朝(じょうちょう)が四条橋の東北に地蔵菩薩を祀ったことに始まる。
鎌倉時代の安貞2年(1228)、鴨川が大雨で氾濫した時に、雨止みを地蔵菩薩に祈ると、雨が止み洪水が治まったことから「雨止(あめやみ)地蔵」と呼ばれるようになった。
また八坂神社の参道にあり、参詣者が雨宿りに立ち寄ったことから、その名が付いたとも言われる。
室町時代に、仲源寺の近くに夫婦が住んでいたが、夫が目の病で失明すると、妻は仲源寺の地蔵菩薩に病の平癒祈願を願った。
ある夜、夫の枕元に地蔵菩薩が現れ、「仲源寺の湧き水で目を洗うように」と告げられた。
その通りにすると、夫の目が見えるようになり、お礼詣りに妻が仲源寺の地蔵菩薩に参拝すると、地蔵の右目が赤く染まり、涙が頬を流れたという。
このことから、雨止(あめやみ)が転じて目疾(めやみ)地蔵と呼ばれるようになったと言う。
仲源寺の門には「雨奇晴好(うきせいこう)」と書かれた扁額が掛かっている。
雨の時も晴れの時も、景色が優れているという意味だが、山水の景色は、晴れた日は美しく、雨の日も赴きがあるというもので、人生も山谷はあるのだが、どちらも素晴らしい人生だと語っているのである。
また「洛陽三十三所観音霊場」第十六番札所として、千手観音座像が祀られている。

02駒札mid
駒札によれば、
『浄土宗に属する寺院で、一般に「目疾地蔵」の名で人々に親しまれている。
平安時代の治安2年(1022)、仏師定朝(じょうちょう)が四条橋の東北に地蔵菩薩を祀ったことに由来する。
寺と地蔵菩薩の名の由来は、安貞2年(1228)の鴨川氾濫時に、勢多判官中原為兼が、防鴨河使(ぼろかし:鴨川堤防の修繕を司る令外の官)になった際、この地蔵菩薩が溺れ人を救う姿を見、それ以降地蔵菩薩を「雨止(あめやみ)地蔵」と称し、「中原」の傍らに人と水を添えて寺名としたことによる。
その後、信仰深い老夫婦の眼病を自らの右目に移し、苦しみを救ったという逸話から、いつしか「目疾地蔵」になり、現在も眼病治療に霊験があるとして広く信仰を集めている。
本堂の地蔵尊像の傍らには室町時代の作といわれる「山越阿弥陀像」を祀る。
また、観音堂には平安後期の春日仏師の作とされる木造の千手観音坐像(重要文化財)が安置されている。』
                     出典:【仲源寺(目疾地蔵)の駒札】より

仲源寺(目疾地蔵:京都市東山区四条通大和大路東入祇園町南側585)
京都駅から
▼「D2」乗り場から86・206系統で『祇園』下車(所要21分)
「祇園」から、徒歩7分
▼「A2」乗り場から4・17・205系統で『四条河原町』下車(所要14分)
「四条河原町」から、徒歩7分