新京極から三条通を西に進み、寺町通と交差する角を右に曲がると、北東の角に「矢田寺」がある。

01矢田寺mid
矢田寺の本堂に安置されている地蔵菩薩(矢田地蔵)は、阿鼻叫喚の地獄で人々の苦しみを救う生身の地蔵として、代受苦地蔵とも呼ばれ厚く信仰されている。
平安時代初期に矢田寺の住職・満慶上人は、閻魔大王の許しを得て地獄を見ることが出来た上人で、そこで地獄の苦行に苦しむ罪人を助けるひとりの僧侶を見るのだが、その人こそ生身の地蔵菩薩であり、その姿を刻み矢田寺に安置したのが、矢田地蔵だと言われている。

02矢田地蔵mid
その由来は、矢田寺の駒札によると、
『金剛山矢田寺と号する西山浄土宗の寺で、通称、矢田寺の名で知られている。
寺伝によれば、当寺は、平安時代の初め、大和国(奈良県)の矢田寺の別院として五条坊門(下京区)に創建され、以後、寺地を転々とし、天正7年(1579)に現在の地に移されたといわれている。
本堂に安置する本尊の地蔵菩薩(矢田地蔵)は高さ約2メートルの立像で、開山の満慶上人(まんけいしょうにん:満慶上人が閻魔大王から貰ったという一食分の米の入った升は、それを食べ切れば、また米が満たされるというもので、いつしか満米(まんまい)上人とも呼ばれるようになる)が冥土へ行き、そこで出会った生身の地蔵尊の姿を彫らせたものといわれ、俗に代受苦地蔵と呼ばれ、地獄で亡者を救う地蔵として人々の信仰を集めている。
また、当寺の梵鐘は、六道珍皇寺の「迎え鐘」に対し、「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として人々から信仰され、一年を通じて精霊送りには、多くの参拝者で賑わう。
暮の12月23日には「かぼちゃ供養」が行われ、年の瀬に心と体を温めて来る年の無病息災を願い、振るまわれるのである。』
                     出典:【矢田寺(矢田地蔵)の駒札】より

03送り鐘mid
お盆に鳴らす六道珍皇寺の「迎え鐘」は、精霊会(お盆、盂蘭盆会、魂祭りなどとも云う)のとき、御霊(先祖の霊)を迎えるために鳴らす鐘で、矢田寺の梵鐘は、「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘で、俗世に帰った死者の霊を、冥途へと送る為に鳴らされるもので、矢田寺ではお盆の終わりにこの鐘が撞かれ、その音によって迷わずに冥途へと帰ることが出来るのである。
六道珍皇寺の「迎え鐘」が引いて鳴らすことで、死者の霊をこの世に引き寄せ、矢田寺の鐘は撞くことによって、死者の霊を冥途に導いているのである。
お盆に、焚く「迎え火」と「送り火」は、鐘を撞く代わりに、死者の霊を送り迎えしているのである。

矢田寺(矢田地蔵:京都市中京区寺町通三条上ル)
京都駅から
▼「A2」乗り場から4・17・205系統で『河原町三条』下車(所要43分)
「河原町三条」から、徒歩3分