嵯峨釈迦堂とも呼ばれる清凉寺の大念仏狂言堂で行われるのが「嵯峨大念仏狂言」。
壬生大念仏狂言、千本ゑんま堂狂言とともに京の三大念仏狂言として知られ、演者が面を着け、身振り手振りだけで芝居する無言劇である。
毎年3月15日の涅槃会のお松明式と4月に3日間、公演が行われる。
嵯峨大念仏狂言は、
『京都市の西、嵯峨嵯峨釈迦堂の名で親しまれている古刹・清凉寺の境内で執り行われる「嵯峨大念仏狂言」は、国の重要無形文化財に指定されている民族芸能です。
すべての役者が面を着け、セリフがなく、身振り手振りだけで芝居が進行する点に大きな特徴があり、現在は全二十番の演目が残されています。
その歴史は古く、言い伝えでは鎌倉時代に融通念仏をひろめた円覚上人の創始とされています。
資料から見ても、嵯峨狂言には室町時代の享禄2年(1529)の銘を持つ面が伝わっており、すでに500年近い歴史を有していると考えられます。
この他にも、桃山時代の優秀な面打師であった喜兵衛の刻銘を持つ女面<深井>や、和宮降嫁の際に宮中の女官としてその説得にあたった高野房子の菩提を弔うために奉納された装束など、美術史的にも宗教史的にも価値の高い数々の資料が伝わっています。
昭和61年(1986)に国の重要無形文化財に指定されました。
嵯峨狂言は壬生狂言と同様の無言劇で、舞台上では狂言方のほか囃子方と後見がいます。
囃子方は鉦、太鼓、笛で構成され、鉦(カン)と太鼓(デン)による「カン・デン・(休み)・デン・カン・デン・デン・(休み)」と「カン・デン・デン・デン・カン・デン・デン・(休み)」という2種類のリズムが基本となっています。
鬼や蜘蛛の登場や立ち回りの際には「ハヤガネ」と呼ばれる鉦の連打があります。
横笛は九孔(通常は七孔か六孔)の大変珍しいものです。
後見は舞台上で役者の着替えを手伝ったり小道具の世話をしたりします。
役者に突然の事故があった際、面をつけずにその代役を務めることもあります。
演目は「カタモン」と「ヤワラカモン」の2種類に分けることができます。
カタモンは能楽系の演目、ヤワラカモンは狂言仕立てのコミカルな要素を持った演目を指します。
なかでも「釈迦如来」は、嵯峨狂言のみの演目として注目されており、また「愛宕詣」は狂言堂舞台から西北にそびえる愛宕山を眺めながら演じる嵯峨狂言ならではの演目です。
嵯峨狂言は、他の狂言に比べておおらかな古風さをよく伝えており、粗削りな点でも貴重とされています。』
出典:【嵯峨大念仏狂言 歴史や成り立ち】より
謡曲「百萬」で知られた、清凉寺の大念仏狂言堂がある。
駒札には、
『謡曲「百萬」は、大和国吉野の者が奈良西大寺辺りで拾った小童を連れて嵯峨の大念仏に参詣すると、群集の中にわが子に逢いたいと狂い舞っている一人の女がいた。
これを見た小童が「あの狂女こそ母である」という。
その郷里を尋ねると「私は奈良の都の百萬という者で、夫には死別し、一人子にも生別したので、心が乱れたのです。」と答え、尚も再開を祈り舞い狂う。
心根に討たれて小童を引合せると狂女は喜び狂気もおさまって、仏の功徳を感謝しながら母子共に奈良に帰って行く、という物語の曲である。
狂言堂は清凉寺釈迦堂の念仏狂言のなされる所である。
融通念仏の遺風とされる念仏狂言は弘安2年、円覚上人の創始により、毎年3月15日涅槃会のとき、4月(日は年によって変わる)に行われる無言劇である。』
出典:【謡曲「百萬」と狂言堂の駒札】より
清涼寺はもと嵯峨天皇の離宮があった所で、皇子源融が棲霞館と名付けた山荘を儲け、後これを寺として棲霞寺と呼んだ。
その後、宋に渡った奈良東大寺の僧・奝然(ちょうねん:938~1016)が帰国し、持ち帰った釈迦如来像を安置する寺を建立しようとしたが、その願いが叶わぬまま、長和5年(1016)奝然は没したので、弟子の盛算(じょうさん)がその志をついで棲霞寺の境内に建立したのが、五台山清凉寺である。
清涼寺の駒札によると、
『五台山と号する浄土宗の古刹で、「嵯峨釈迦堂」の名で知られている。
この地には、一説では「源氏物語」の主人公の光源氏のモデルであったといわれる源融の山荘、棲霞観(せいかかん)があり、融の没後、棲霞寺としたのが当寺の始まりである。
天慶8年(945)に等身大の釈迦像が安置され、これが通称の由来ともいわれている。
その後、インド、中国、日本の三国伝来となる釈迦如来立像を持って宋(中国)から帰国した奝然(ちょうねん)上人が、その像を安置するため、愛宕山を中国の五台山に見立てた「大清凉寺」の建立を計画したが、志半ばで没したため、弟子の盛算(じょうさん)が清凉寺を建立して像を安置した。
昭和28年(1953)、背中に蓋が発見され、中に内臓を模した絹製の五臓六腑などが納められていたことから、生身のお釈迦様とも呼ばれている。
本堂は、元禄14年(1701)に徳川五代将軍綱吉、その母桂昌院らの発起により再建されたもので、本尊の釈迦如来立像(国宝)を安置しており、霊宝館には、阿弥陀三尊像(国宝)、文殊菩薩騎獅像(重要文化財)等、多数の文化財が祀られている。
このほか、境内には、奝然上人、源融、嵯峨天皇、檀林皇后の墓などがある。』
出典:【清涼寺(嵯峨釈迦堂)の駒札】より
清凉寺(嵯峨釈迦堂:京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46)
京都駅から
▼「C6」乗り場から28系統で『嵯峨釈迦前』下車(所要43分)
「嵯峨釈迦堂前」からすぐ
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