東福寺には、京都駅から市バス88・208系統のバスに乗り「東福寺」で降り、南に10分ほど歩くか、JR奈良線で「東福寺」で降り、南に10分ほど歩く。
また京阪電車では「東福寺」か「鳥羽街道」で降り、どちらも10分ほど歩く。
東福寺は、恵日山(えにちざん)と号する、臨済宗東福寺派の大本山である。
藤原道家が九条家の氏寺にするため、奈良の東大寺、興福寺と並ぶ大寺の建立を発願して東大寺と興福寺の一字を取って寺名とし、禅僧円爾弁円(えんにべんえん:聖一国師)を開山に招いて、殿内に釈迦・観音・弥陀の巨像を安置し、建長7年(1256)に完成した。
その後火災を受けたが、室町初期に道家の計画通りに再建され、京都五山の一つとして栄え、多くの伽藍、塔頭が建ち並び、兵火を受けることもなく明治に至った。
明治14年に惜しくも仏殿、法堂など中心部を焼失したが、今なお堂々たる中世禅宗の寺観を保っている。
東福寺の塔頭のひとつである『同聚院』には、平安期の代表的仏師である定朝の父、康尚が作った「不動明王坐像」が安置されている。
像高は265センチで、憤怒の相の中にも優美さを持った藤原美術の代表的彫刻の一つである。
じゅうまん(漢字では表せない)不動明王と呼ばれ、「じゅうまん」は土地の守護を表す「土力」、又は、十万の一族郎党を従えるという「十万」の二字を一字にした文字と云われ、火除けや除災の不動として信仰されている。
また明治時代にアメリカの富豪ジョージ・モルガンと結婚した、祇園の芸妓、モルガンお雪(芸妓名:雪香)の墓もここにある。
もともと東福寺一帯は、平安中期に藤原忠平が法性寺を建立した所で、寛弘3年(1006)には、藤原道長が40歳の賀に当たり、五大明王を安置する、五大堂を境内に造営した。
しかし、藤原氏の衰退と共に鎌倉時代の初期には寺勢も衰え、その後、建長7年(1255)その跡地に、九条道家が東福寺を建立する。
同聚院は、藤原道長が建立した、五大堂の遺跡であり、五大明王のうちの不動明王が幾多の災禍を乗り超えて、ここに祀られている。
駒札には、
『臨済宗東福寺派に属する東福寺の塔頭の一つである。
東福寺の寺地一帯は、平安時代中期に藤原忠平が法性寺(ほっしょうじ)を建立した所で、寛弘3年(1006)には、藤原道長が40才の賀に当たって、五大明王を安置する五大堂を境内に造営した。
その後も、藤原氏が法性寺の造営に力を入れたが、鎌倉時代初期には衰微し、その跡地に九條道家が東福寺を建立したのである。
本寺は藤原道長が建立した五大堂の遺跡で、五大明王のうち不動明王坐像(重要文化財)が幾多の災害を越えて祀られている。
像は仏師定朝(じょうちょう)の父・康尚(こうしょう)の作品で、像高265センチメートル、忿怒(ふんぬ)相の中にも優美さをたたえた藤原美術の代表彫刻の一である。
「じゅうまん不動(じゅうまんふどう)」と称され、「じゅうまん」の字を書いた屋守護(やさご)の符が配布されている。
「じゅうまん」は土地の守護を表す「土力(どりき)」、又は、十万の一族・従者を従えるという意味の「十万」の二字を一字にした文字といわれ、火除けをはじめ除災の霊験あらたかな不動として信仰が深い。』
出典:【同聚院の駒札】より
同聚院(京都市東山区本町15丁目799)
京都駅から
▼「D2」乗り場から88。208系統『東福寺』下車(所要16分)
「東福寺」から、徒歩8分
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