三条通に架かる白川橋の西にある小さな道を北に、突き当りを右に行くと再び白川の流れが見えてくる。ここに架かるのが「石泉院橋」である。
その西泉院橋を渡り東、神宮道の方に行くと「並河靖之七宝記念館」がある。

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並河靖之七宝記念館は、七宝作家で明治29年(1896)に帝室技芸員となった並河靖之(弘化2年(1845)~昭和2年(1927))が、職住一体として構えた旧邸宅と工房跡であり、平成15年に開館をし、世界の美術界でも貴重な並河家所蔵の七宝作品を展示している。
七宝とは、銅などの金属や陶磁器の素地の器胎にガラス質の釉薬をのせて焼成し研磨したものである。
並河靖之が探求した七宝は有線七宝といわれ、その名のように、描かれた図柄の輪郭線には必ず金属の線が施されており、深く潤いある多彩な釉薬の色味や独創的な形状が特徴である。

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記念館の建物は、明治27年(1894)に竣工し、外観は大規模な表屋造で千本格子や虫籠窓、駒寄せがあり、京都の伝統的な商家の構えで、通りに面して主屋が建ち、北東角には旧工房、その奥に旧窯場がある。
表屋造の背後には平屋の主屋をつなぐのだが、ここでは2階建の主屋を連ね、鴨居を高くし、当時珍しかった輸入品のガラス障子がはめられ、明るく開放的な空間をつくっている。
小屋組には屋根裏面と天井上面筋違が入れられ、背の高い2階屋を支えているため、伝統的な町家建築でありながら、構造上の新しい試みがなされている。
旧窯場は、入母屋桟瓦葺平屋建で、屋根は緩く起り、腰高に焼板を張るなど瀟洒な外観で、漆喰塗込の天井には窯場当時の仕様が残る貴重な建物となっている。

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主屋と旧窯場の間から主屋座敷前に琵琶湖疎水の水を取り入れた、7代目小川治兵衛(屋号「植治」)の作庭した庭園が広がっている。
並河家の庭園と建物との竣工時の様子は、竣工披露された翌日の「日出新聞」(明治27年11月16日)の記事から知られる。
琵琶湖疎水を水源とする園池の水は、もともと七宝の研磨を目的に引かれた水を流用したものである。構成は、表玄関の「通り庭」と敷地の北東隅にある「坪庭」、園池を中心として座敷前に広がる「平庭」に大別でき、明治期の住宅庭園の有り様を今に伝えている。
植治(1860~1933)が後の作風を築き上げるうえで重要な時期に造られたものであり、明治期の住宅の佇まいを良好に残し、並河靖之の芸術観をも受入れた密度の濃い庭園として貴重なものである。

参照
【並河靖之七宝記念館パンフレット】より
【並河靖之七宝記念館の説明板】より
【並河家庭園の駒札】より)

並河靖之七宝記念館(京都市東山三条通北裏白川筋東入堀池町388)
京都駅から
▼「A1」乗り場か5系統、または「D2」乗り場か86・206系統で『東山三条』下車(所要19分)
「東山三条」から、徒歩5分