醍醐山(笠取山)が山岳信仰の霊山となったことから、山上を上醍醐、山下を下醍醐と呼び、それらに絡む堂塔伽藍を纏めて醍醐寺と呼んでいる。
醍醐寺に関わる三つの資料があるので、それを参考にして醍醐寺を紹介すると、
『真言宗醍醐派の総本山で、平安初期の貞観16年に山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った理源大師聖宝は、白髪の老翁の姿で現れた地主神・横尾明神より、こんこんと水(醍醐水)が湧き出るこの山を譲り受け、准胝・如意輪の両観音を刻み、山上に祀ったのが、醍醐寺の始まりされており、延喜7年に醍醐天皇の勅願寺となり、次第に大伽藍が整えられた。
醍醐寺は、山上を上醍醐、山下を下醍醐といい、醍醐寺というのはこの山の総称であって、醍醐寺という寺があるわけではない。
その主な寺院は三宝院・理性院・金剛王院・無量寿院・報恩院などで、これを醍醐の五門跡という。
延喜4年に醍醐天皇は山下に釈迦堂を建て、天暦3年に法華三昧堂が、同5年に五重塔が建てられ、醍醐・朱雀・村上の三代にわたる天皇の深い帰依によって大伽藍が完成をする。
以後も、皇室をはじめ貴族や武士の支援を得て、真言密教の中心的寺院として多くの信仰を集めている。
応仁の乱により、五重塔を残してすべて焼失したが、慶長3年に豊臣秀吉が北政所らを醍醐の花見に誘ったことをきっかけに、秀吉の厚い帰依を受けて復興され、慶長3年3月15日にここで盛大な花見が行われたことで、昔の盛を取り戻してゆくのである。
秀吉の醍醐の花見は、伝法堂の東から細い山道を登って上醍醐に行く途中、女人堂をすぎて5~600m登った所の千畳敷という、槍山又は花見山と呼ばれる所で、ここで秀吉が豪奢な花見の宴を張った所であるという。た。
本堂の金堂は、慶長4年に紀州湯浅の満願寺から移築したものといわれ、三宝院庭園は、華麗で豪華な桃山時代の庭園で、秀吉の権勢をしのばせている。霊宝館には、薬師如来坐像(国宝)や秀吉所用の黄金天目茶碗などが収蔵されており、毎年春と秋に公開されている。』
参照:【醍醐寺の駒札】より
参照:【世界文化遺産・醍醐寺のパンフレット】より
参照:【最新旅行案内・京都】より
醍醐寺にも五重塔があり、この塔が京都で現存する最も古い五重塔なのである。
この五重塔は、醍醐天皇の第一皇子である朱雀天皇がその菩提を弔うために、承平6年(936)に着工し、第二皇子の村上天皇の天暦5年(951)に落成したもので、京都では最も古い木造建築である。
醍醐寺の堂塔伽藍は度々の火災に加え、応仁の乱により、その殆んどが灰燼に帰したのだが、唯一この五重塔だけが難を逃れ、創建当時の姿を今に伝えるのである。
『塔の高さは38mで、屋根の上に建つ相輪の高さは13mあり、相輪が塔の三分の一を占めているのも珍しい。
方三間、屋根本瓦葺、石段上に立つ。2層以上には腰に勾欄をめぐらし、枡組は三手先を用いている。木割は太く、相輪が塔の三分の一を占め、その形態は堂々としてゆったりとした感じを与える。
創建当時は初層の内部は、一面に極彩色で仏画や宝相華文・唐草文などの文様が描かれていたという。』
参照:【最新旅行案内・京都】より
まずは醍醐寺だが、京都駅から醍醐には、地下鉄で、「京都」から烏丸線の「烏丸御池」で東西線に乗り換えて「醍醐」まで、所要時間27分(330円)の乗車である。
しかし、これより早いのが、JR東海道線で「山科」まで出て、山科から地下鉄東西線に乗り「醍醐」まで、所要時間14分(450円)である。
1分違いで、JR奈良線で「六地蔵」に、六地蔵から地下鉄東西線で「醍醐」まで15分(420円)もある。
自分的には、JRで「六地蔵」まで乗って、地下鉄で「醍醐」までというのが、なんとなくお勧めである。
醍醐寺(京都市伏見区醍醐東大路町22)
京都駅から
▼JR奈良線で『六地蔵』乗換(所要18分)、京都市営地下鉄・東西線で『醍醐』下車(所要5分)
「醍醐」から、東に徒歩13分
コメント
コメント一覧 (1)
機会があったら行ってみたいです。
拍手です。
youhobito
が
しました