わら天神、その名を敷地神社という。
この社の謂れは、もとは北山の神として衣笠村の村社としてあったのだが、天長8年(831)にこの地に氷室が設けられ、それを管理するために加賀国から移住した人達が、敷地天神を加護し北山の神の隣に祀った。
ところが応永4年(1397)に足利義満が北山殿(のちの金閣)を造る際に立ち退きを迫られ、この二つの社を合祀し、木花開耶姫命を祭神と定めこの地に敷地神社を建てた。
木花開耶姫の由来から、敷地神社は安産の神として信仰され、安産祈願として藁が授けられることから「わら天神」と云われ、
藁に節があれば男の子、節がなければ女の子が出来るという言い伝えがあるのだが、今は生まれる前から男か女か分かってしまう、何とも味気ない世の中になってしまったのだが、世の母親は今も5ケ月目の最初の戌の日に、ここにお参りし安産を祈るのである。
西大路通に面した一の鳥居、わら天神宮の名が見え、狛犬に迎えられながらここをくぐると、短い参道を歩いて行くのだが、この参道が、銭形平次での神田明神や必殺での深川八幡とか根津権現、また暴れん坊将軍などの映画やテレビの時代劇のロケに使われている。
参道を右に曲がると二の鳥居があり、ここをくぐるとわら天神の境内となる。
手水舎で身と心を清め世俗の垢を落とし、神様のいる神域へと進む。
木花開耶姫命を祀った本殿と摂社である六勝稲荷神社があり、稲荷神社は試験合格の神として信仰されているのだが、近くに北野天満宮があり受験合格でここを訪れる人は少ないのである。
わら天神の祭神は「木花開耶姫命」で、そのよって由来するところから安産の神として信仰されているのだが、木花開耶姫とは日本神話の天孫降臨の件で、ニニギに見初められ求婚されるのだが、父のオオヤマツミは姉のイワナガヒメとコノハナサクヤヒメとを差し出すのだが、ニニギは醜い姉を送り返してしまいコノハナサクヤヒメと一緒になる。
イワナガを妻にすると、命は岩のように永遠となり、コノハナを妻にすると木の花が咲くように繁栄するが、花のように命は短くなるとの宣嗣で、それから寿命が限られることになったと云われる。
いつの世も美しさの裏に、どんな棘を持っているのか推し量れないのは、太古の昔から変わらないのである。
安産の云われなのだが、コノハナはニニギと結ばれ一夜で身篭るのだが、ニニギは他人の子ではないかと疑いコノハナは疑いを晴らす為に、あなたの子ならなにが遭っても無事生まれるでしょうと、生む時に御殿に火を点けて、火の中で三柱の子供を生んだ。
このようにどんな事があっても無事子供を生んだことから安産の神として京の人々の信仰を集め、戌の日には安産祈願でお参りに来る人が絶えないのである。
敷地神社(わら天神:京都市北区衣笠天神森町10)
京都駅から
▼「B2」乗り場から50系統、または「B3」乗り場から205系統で『わら天神前』下車(所要37~39分)
「わら天神前」から、徒歩3分
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