伏見稲荷大社は、全国にある稲荷社の総本家であり、五穀豊穣、商売繁盛の神として参詣者が絶えることがない。
初詣には、全国でも三本の指に入る人出で賑わいをみせ、2月最初の午の日には商売繁盛と家内安全を願う「初午大祭」が行われ「しるしの杉」を受ける。

01楼門mid
伏見稲荷は、和銅4年(711)に稲荷山の三ガ峰に稲荷大神を祀ったことに始まるが、後に麓の現在の地に移っている。
天長4年(827)に、空海(弘法大師)が東寺を作る時に稲荷山の神木を使ったとされ、真言密教と結びつき稲荷信仰が盛んとなる。
JRの稲荷駅から朱塗りの二つの大鳥居をくぐると、石段の上に楼門があり、その奥に拝殿、本殿がある。
その横から奥に奥宮があり、そこから山上のお塚に続く千本鳥居が立ち並んで、壮観である。
その千本鳥居をくぐって稲荷山を巡る約4Kmの「山めぐり」が出来るのである。
本殿は、明応3年(1494)の建築で檜皮葺、五間社流造で、様式は室町末期様で、蟇股には桃山風の彫りが施されている。

02千本鳥居mid
伏見稲荷の由縁は、駒札によると、
『全国に約三万社あるといわれる稲荷神社の総本宮で、宇迦之御魂大神を主神とし、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神を祀る。
奈良時代の和銅4年(711)に秦氏が稲荷山上に創祀し、後にこの地に社殿が造営されたという。仁寿2年(853)の雨祈奉幣以来、朝廷から度々、勅使が遣わされ、五穀豊穣、家業繁栄の神として庶民の深い信仰を集めた。
古くから山全体が信仰の対象とされる稲荷山には、清少納言も詣でたことが「枕草子」に記されており、願い事が「通る」という意味から、多数の朱の鳥居が奉納され、今日に至っている。
応仁の乱で焼失した本殿は、明応8年(1499)に再建された後、幾度かの修造を重ね、現在は重要文化財に指定されている。また、御茶屋は後水尾院から拝領し、当社に移建された御所の御殿で、これも重要文化財となっている。楼門は、豊臣秀吉が母の病気平癒祈願が成就したため寄進したものである。
現在は特に商売繁盛の神として信仰を集め、正月には多くの人々が初詣に訪れるほか、2月の初午祭(ふつうまさい)、5月3の稲荷祭、11月8日の火焚祭(ひたきさい)も多くの参詣者でにぎわう。』
                       出典:【伏見稲荷大社の駒札】より

03本殿mid
2月最初の午の日に行われる「初午大祭」は、和銅4年(711)2月初午の日に、稲荷山の三ガ峰に稲荷大神を祀ったことに因む祭りである。
2日前のに稲荷山の杉と椎の枝で作った「青山飾り」を本殿や摂社・末社に飾り、当日は商売繁昌・家内安全を願い「志るしの杉」(稲荷山から取られた杉の神木)を授かる。
平安時代に熊野詣の参拝を終えた人が伏見稲荷大社に立ち寄り、無事に帰った験(しるし)として杉の小枝を頂いたという習わしに由来する。
また京都では、初午の日に「畑菜の辛子和え」を食べる習慣があり、これは伏見稲荷大社を創建した秦氏の名にかけて、畑菜と狐の毛の色に因んだものという。

伏見稲荷大社(京都市伏見区深草藪之内町68)
京都駅から
▼JR奈良線で『稲荷』下車(所要5分)
「稲荷」からすぐ