祇園祭の宵山の期間には、夫々の山鉾町の旧家では、通りに面した部屋に毛氈などを敷き、家の装いを一変し、日頃は土蔵に収蔵されている、屏風や工芸品を飾りつけて親しい客をもてなした。
これが今に続き、宵山の参観者の目を楽しませてくれる。
これを屏風祭といい、年に一度、この祇園祭の宵山に、京都の「晴れ」の空気を感じることが出来るのである。
祇園祭は七月の神幸祭に山鉾の巡行が行われ、葵祭・時代祭とともに京都の三大祭の一つである。
貞観(じょうがん)11年(869)に疫病が流行ったときに、日本の国の数と同じ、長さ6mの鉾六十六本を立て、洛中の男児と洛外の百姓が神を神泉苑に送って祀り、疫病退散を祈願した祇園御霊会が祇園祭の起源であるという。
7月17日には山鉾の巡行(後祭は7月24日)前の16日を宵山といい、家々の軒に神灯を掲げ、青簾をかける。
また旧家では秘蔵の屏風を立て、由緒ある毛氈(もうせん)や花などで室内を飾り、山鉾には駒形提灯が吊るされ、古い織物刺繍などで飾り付けられる。
夜になると、この提灯が一斉に灯され幽玄の世界にと導いてくれるのだが、駒形提灯が灯る頃ともなれば、山鉾の周りは人・人・人で身動きが取れなくなってしまうのである。
ゆっくりと山鉾を見物するのなら昼の時間なのだが、どの山鉾も駒形提灯には灯が灯されず、遠目にはそれぞれの山鉾の違いが分かりにくくなるのである。
祇園祭の山鉾には古来より婦女子が係わることが許されなかった。
現在でも巡行当日は山や鉾を曳くのは男であり、鉾の舞台に上がり祇園囃子を奏でるのも男である。先頭を行く長刀鉾に乗る稚児も男の子なのである。
これは古来から婦女子は穢れをもたらすと伝えられ、神聖な場所には立ち入ることが出来なかったのである。
こんなことを今言うと、世の女子たちからは、こっ酷く非難されるのだろうが、昔はこれが通っていたのである。
しかし、何時の頃からか女子が山鉾の舞台に乗れるようになった。
勿論、山鉾の巡行ではなく、宵山では会所から鉾に梯子廊下が掛けられて、鉾の舞台に誰でも上がることが出来るのである、
また、山鉾の曳きためしには老若男女、通りすがりの人でも鉾を曳くことが出来るので、引き始めに行って山鉾巡行の一部でも味わってみようと思うのだが。
祇園祭に欠かすことの出来ない「祇園囃子」は、コンチキチン、コンチキチンと独特の音色で奏でられるのだが、その楽器は「鉦」と「太鼓」と「笛」である。
小さい頃か「鉦」の稽古を始め、長じて笛方や太鼓方となる。
囃子方の構成は、鉦方8人、笛方8人、太鼓方が2人というのが一般的構成である。
祇園囃子は鉾の上で能や狂言を演じた名残とも云われ、祇園祭が疫病退散の祭りであり、お囃子によって悪霊を誘い出し封じ込める意味合いがあるのだという。
囃子の曲そのものに大きな違いはないのだが、それぞれの鉾と曳山で微妙な違いがあるというのだが、自分のような音痴にはその違いなど良く分からないのである。
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