京の町には数多の七不思議が存在するのだが、知恩院にも七不思議がある。

1.鴬張りの廊下(御影堂)
御影堂から集会堂、大方丈、小方丈へと続く長さ550mの廊下は、そこを歩くと「キュキュ」と音がし、その音が鶯の鳴き声に似ているからこの名が付いたという。
音が出ぬように歩こうとすればするほど音がすることから「忍び返し」とも云われ、不審者の侵入を防ぐ役割をもする。

2.白木の棺(三門)
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三門楼上に二つの白木の棺が安置されている。
これは三門を建てた五味金右衛門が建築費超過の責任をとり夫婦共々自害したことを悼んで三門に空の棺を納め、その上に木像が置かれている。

3.忘れ傘(御影堂)
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御影堂正面の軒下に骨だけとなった唐傘がある。
この傘は左甚五郎が魔除けのために置いたという説と、御影堂建築の折り、ここに住んでいた白狐が棲家が無くなる事を憂い、32世霊厳上人に棲家をと懇願し出来上がったお礼として傘を置いたという説がある。
10年以上前の京都新聞に、知恩院の七不思議の一つである『「忘れ傘」の謎についに・・・』という記事が載っていた。要約すると、
『忘れ傘は、江戸初期の寛永16年(1639)に再建された御影堂の東南にある軒の垂木(地上11,5m、縁側から9m)の上に置かれている、骨だけになった傘が見えている。
言い伝えによると、名人・左甚五郎が御影堂再建の際に置いたとか、また白ギツネが新しい住処を作ってもらったお礼に傘を置いたとかと言われるが、実際のところ火災に遭わないようにとの願いから、水に関わる傘が置かれたのだという。
それが今年(2011年)10月の法然800年遠忌法要の後に、御影堂の解体修理が行われ、その時に「忘れ傘」も下ろされ、その姿を白日のもとにさらすという。
どんな傘なのか今から興味のあるところである。
                 参照:【京都新聞 「忘れ傘」の謎についに】より

4.抜け孔雀(大方丈)
江戸前期の画家狩野信政が描いた大方丈菊の間の襖絵、紅白の菊に遊ぶ数羽の雀が描かれていたのだが、その絵が見事で雀が生命を授かり、襖絵には雀の姿はなく何処かへ飛び去ってしまったという。

5.三方正面真向の猫(方丈廊下)
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これも狩野信政の筆になるもので、方丈廊下にある杉戸に描かれた親猫が子猫を見守る絵が、どこから見ても正面を向いているように見えるという。

6.大杓子(大方丈)
大方丈入口の廊下の梁にあり、長さ2.5m、重さ30Kgの大杓子(しゃくし)で、真田十勇士のひとり三好青海入道が大坂夏の陣でこれを使って獅子奮迅の働きをしたともいう。

7.瓜生石(黒門に続く公道)
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黒門へ続く道路にある大きな石で、知恩院が建立される前からこの場所にあるのだという。
この石には色々な言い伝えがあり、この石から一夜にして蔓が伸び瓜の実が生ったという、また八坂神社の牛頭天王が瓜生山の降臨し、再びこの場所に現われたという説。
これはと思う説で、隕石が落ちた跡だという説やこの石の下は抜け道になっていて二条城まで続いているなど様々の説がある。

知恩院(京都市東山区林下町400 )
京都駅から
▼「D2」乗り場から206系統で『知恩院前』下車(所要23分)
「知恩院前」から、徒歩5分