蹴上には琵琶湖疏水と共に、日本の近代化に貢献したものがあり、それは蹴上発電所と蹴上浄水場である。

01発電所mid
蹴上発電所は琵琶湖疏水の建設と共に造られたもので、明治24年(1891)6月に、2台の発電機で運転を始め、この電力により日本初の市電が、明治28年(1895)に塩小路から伏見まで開通するのである。
琵琶湖疏水は琵琶湖の水を京都で利用すると共に、船運を主目的としたのだが、途中その水路を利用し水力発電を行うのが有効だとされ、これを造ったことにより京の産業は飛躍的に発展することとなるのである。
琵琶湖疏水を開発するにあたり、田邉朔郎はアメリカの水力発電所を視察し、疏水を利用して水力発電を起こそうと考え、明治24年(1891)日本で初めての発電所である第1期蹴上発電所を造るのである。
その後、電力需要は大きくなり、第2琵琶湖疏水工事が上水道や市電の敷設とあわせて京都市三大事業として計画されることとなり、明治45年(1912)に第2琵琶湖疏水と第2期蹴上発電所が完成することになる。
ここに残る建物は、第2期の発電所で、明治の建物らしくレンガ造りのしっかりした風格を備えた建物となっている。

02浄水場mid
京都の上水道は琵琶湖に依存すること多大であり、その一躍を担っているのが琵琶湖疏水である。
琵琶湖の水を疎水で京都に供給することで、京都市民の命の水となっている。琵琶湖が渇水し大阪などが取水制限になっても、京都は琵琶湖疏水のお蔭で水不足になったということを聞いたことがないのである。
蹴上浄水場は、明治45年(1912)に給水を開始し今に続いている。
この2015年4月に、京都市が滋賀県に、琵琶湖疏水感謝金として琵琶湖第一と第二疎水で琵琶湖の水を取水することに対して、今後10年間、毎年2億3000万円が支払われることが決まった。
また敷地内には4600本のつつじが植えられていて、毎年5月の初めには、構内が無料開放され、京都市民の楽しみとなっている。

03ねじりまんぽmid
蹴上の浄水場から南禅寺へと向かうには、疏水のインクラインをくぐるのが近道であり、そこに造られたのが「ねじりまんぽ」と呼ばれるトンネルである。
「ねじりまんぽ」とは、琵琶湖疏水を設計した田辺朔郎が、蹴上のインクラインを造った時に、その途中からこの下を抜けられるトンネルを造り、住民の便を図ろうと考えたものであり、このトンネルの上は琵琶湖疏水のインクラインである。
三条通側の「まんぽ」には、篆書(てんしょ)体で「雄観奇想」の扁額が掛っている。
掲げられた扁額には、当時の気概が感じられ、明治という新しい時代を「雄観」し、それに見合う、すごい思いの「奇想」を成し遂げたという強い思いが見られるのである。
反対側の入口に掛る扁額は「陽気発處」と書かれているが、随分と劣化し、その文字が読みづらくなっているのだが、朱子の「陽気発する處、金石また透る、精神一到何事も成さざらん」の一節から取られたもので、運気をあげる素晴しい場所だということらしい。

蹴上発電所(京都市左京区粟田口鳥居町2)
蹴上浄水場(京都市左京区粟田口華頂町3)
ねじりまんぽ(京都市東山東小物座町)
京都駅から
▼京都市営地下鉄烏丸線で『烏丸御池』(所要6分)東西線に乗換『蹴上』下車(所要8分)
「蹴上」から。蹴上発電所へ徒歩5分・蹴上浄水すぐ・ねじりまんぽへ徒歩2分
▼「A1」乗り場から5系統で『岡崎法勝寺町』下車(所要33分)
「岡崎法勝寺町」から、蹴上発電所へ徒歩5分・蹴上浄水へとほ10分・ねじりまんぽへ徒歩5分